2021年06月23日

6月13日 説教要旨

喜びなさい

2021年6月13日 聖霊降臨節第4主日(世の光としての使命)
フィリピの信徒への手紙第2章12-18節
牧師 木谷 誠

 私たちは「間の時」を生きています。何と何の間なのでしょうか?それはイエス・キリストが昇天し、再びこの世界においでになるまでの「間の時」です。
 そのような「間の時」を生きる私たちに大切な姿勢は何か?それを今日の聖書は私たちに教えてくれています。それは従順です。心を低くして、神様の御心に従う従順こそ、私たちがイエス・キリストが再びおいでになる時まで生きる時に必要な姿勢です。そしてその従順の最高の模範がイエス・キリストです。そのことについては、本日の聖書(フィリピの信徒への手紙2:12-18)の前の第2章6節から11節に書いてあります。
 「間の時」という意味では、この手紙を書いたパウロと私たちは、同じ時を生きているということができます。この「間の時」を生きる時、最も大切な姿勢としての従順について、もう少し詳しく聖書から示されましょう。「13 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」この従順は、神に従うことですが、もう少し詳しく言うと、自分の内に働いている神、すなわち聖霊の働きに従うことと言うことができます。この聖霊は、私たちの内に働いて、私たちに神様の愛を注ぎ、慰め、励まし、導きます。この聖霊に「従順」に従う時、私たちはそれぞれ自分の救いの達成に努めることができるのです。「救いの達成」それは遠い未来のことではなく、今の課題です。もちろんそれが完全に実現するのは、イエス・キリストが再びおいでになる時、未来のことです。
 しかし、今、その実現のために精一杯努めることが大切であり、それを支えてくれるのが聖霊の働きです。この聖霊の働きに従順に従うことによって、私たちも、さまざまな問題山積みの「邪悪な時代」の中で、「傷のない神の子」として輝くことができるのです。大切なことは独りよがりになって、自分の力でなんとかしようとすることではなく、私たちの内に働く聖霊に依り頼むことなのです。と言っても自分の内側で「聖霊が働く」とか、「神が働く」とか言われてもピンと来ない人もいることでしょう。私もそうでした。しかし、私たちは聖書を読み、祈る中で聖霊の導きをいただくことができます。従順の「はじめの一歩」は聖書を読み、祈ることです。イエスもよく祈る方でした。聖書の言葉を自分の内に豊かに蓄えておられました。祈ること、聖書を読むことによって、聖霊の導きが与えられます。そしてその導きに従う力もまた聖霊が与えてくれます。神様は私たちをそのような聖霊の住まいとしてくださっています。この聖霊に従順に従うことによって、イエス・キリストが再びおいでになるまでの「間の時」を神様の子どもとして歩む時、私たちは「神の子」として、救いの達成に向けて歩むことができます。そして大きな喜びが与えられるのです。
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2021年06月15日

6月6日 説教要旨

この神は天地の主

2021年6月6日 聖霊降臨節第3主日(悔い改めの使信)
使徒言行録第17章22-34節
牧師 木谷 誠

 本日の聖書は使徒言行録です。この箇所は「アレオパゴスの演説(説教)」とも呼ばれます。アレオパゴスはギリシアのアテネのアクロポリスの西北面にある小高い丘のことを指します。アテネはいわば当時の「知恵の殿堂」であり、多くの知恵ある人々が様々に論じ合っている場所でした。そこでパウロは、ギリシアの人々がまだ知らない神のこと、イエス・キリストとその復活について大胆に福音を告げ知らせていたのでした。ギリシア人は知恵を愛する民ですから、パウロの話に興味を持ち、小高い丘アレオパゴスから人々に向けてその「新しい教え」を語ることを求めたのでした。これがアレオパゴスの演説(説教)です。アテネの町にはたくさんの神の像がありました。パウロはそれらが全て偶像であることに憤慨していましたが、あえてそれを表に出さずギリシアの知恵ある人々がまだ知らない神がいることを告げます。知恵に優れたギリシアの人々がまだ知らない神とは人間が作った神ではなく、人間を造った神、全ての天地万物を造られた方です。人間から何か捧げ物を受けて、支えてもらう必要もありません。むしろ人間に、必要なものを与えて養ってくださる神なのです。そして人との交わりを求められる神です。神は何物も不足していませんし、必要としていません。神は人との交わりを求められ、求める者にご自身を示してくださる方なのです。そして人をご自身の子どものように愛して、交わりのうちに入れてくださる方なのです。そして悔い改めて、人間の手で作った神ではなく、人間を造った神を信じなさいと呼びかけました。
 ここまでなら、ギリシアの知恵者たちもパウロの演説を新しい教えとして興味深く聞いたと思うのですが、ここから先が大きな問題となりました。それはイエス・キリストの復活についての事柄でした。神はイエス・キリストを遣わして、人々の罪を赦し、人々を神様の愛する子どもとして愛の交わりへと招かれました。このイエス・キリストが十字架にかけられたのち三日目に復活し、天へと昇られ、再びおいでになる時、この世界が正しく裁かれ、救いが実現することをパウロは告げたのでした。死者が復活すると聞いた途端、ギリシア人たちのほとんどは、パウロの教えを嘲笑い、相手にしなくなりました。ギリシア人たちにとって、死者が復活するなどということは、全くあり得ないことであり、受け入れられなかったのです。優れた知恵は、時としてそれが神の真理を妨げる時があります。神は、私たち人間の知恵を超えた方なのです。人間の知恵では到底理解できないことを実際に神様は起こされました。パウロも復活のイエス・キリストに出会った経験がなかったら信じられなかったことでしょう。
 しかし、パウロは復活のイエス・キリストと出会い、イエス・キリストの愛を経験してしまいました。それゆえに彼はギリシア人から嘲笑われようとも、ユダヤ人から迫害されようとも、イエスが死者の中から復活され、今も人々と共にいてくださること、信じる者は、天地、万物を作られた神との愛の交わりに入れられることを、パウロは、伝えずにはいられなかったです。
 これはギリシア人にとってはあまりにも新しい教え、しかも愚かに思えてとても受け入れられませんでした。そのためほとんどのギリシア人はこの教えを受け入れず去っていきました。まさしくコリントの手紙一第1章22節から24節にある通り、パウロが伝える救いの知らせは、人間の知恵を超えたものであり、それは愚かにも思えます。しかし、それを信じて受け入れる者には神の力、神の知恵を分かち与えてくれるのです。この教えは知恵によってではなく、信じることによって生き生きと働く教えなのです。
 私たちの知識や経験は、時として神の恵みを受け入れることを妨げることがあります。福音の喜び、神の力は、知恵によって得られるものではなく、信じることによって与えられるのです。知恵によってはたどり着けない福音の真理は、信じることによってその人の内に豊かに生き生きと働き、素晴らしい経験をもたらします。私たちも自分の知恵に頼ることなく、福音の知らせを信じることによって、豊かな神様の恵と出会い、喜びに満たされて歩んでいきましょう。

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2021年06月09日

5月30日 説教要旨

生きる意味

2021年5月30日 聖霊降臨節第2主日(神の富)
エフェソの信徒への手紙第1章3-14節
牧師 木谷 誠

 本日のエフェソの信徒への手紙は、「ほめたたえる(たたえる)」という言葉が繰り返し出てきます。誰をほめたたえるのか?もちろん神様をほめたたえるのです。ほめたたえることは、強制できません。強制された賛美(ほめたたえ)ほど虚しいものはありません。私たちが心から神様をほめたたえるためには、私たちが神様から素晴らしい恵みをいただいて喜びと感謝に満たされることが必要です。神様は、私たちが神様を心からほめたたえるために素晴らしい恵みを与えてくださいました。その恵みとはどのようなものだったのでしょうか?
その恵みは、まず第一に神様がイエス・キリストにおいて私たちを選んでくださったことです。私たちに何か価値があったからではありません。全くの恵として、ただ愛して神様は私たちを選んでくださいました。
 第二に神様はイエス・キリストによって私たちの罪を赦してくださいました。そのためにイエス・キリストが命を捧げて私たちの罪を償ってくださったのです。その結果として、私たちは、神様との愛の交わりに入れていただきました。そして私たちは神様に導かれて人生を歩むことができるようになりました。私たちは神様の救いのご計画に参加していただくことができるようになりました。色々な困難があっても、神様の救いのご計画は必ず完成します。私たちはそのような恵みと希望を与えられ、喜びと感謝のうちに神様をほめたたえて生きることができるのです。
 それでは神様をほめたたえるとは、具体的にはどういうことでしょうか?それは私たちがそれぞれ生活の場で、出会う人に愛をもって仕えることです。それは私たちが、神様の恵みに満たされ、今、希望を持って愛のわざに励むことです。そのためには、私たちには神様との愛の交わりの喜びが必要です。聖霊は、私たちの心に働きかけ、私たちに神様との愛の交わりの喜びを実感させてくださいます。その喜びで私たちに満たしてくれます。この聖霊によって、私たちは喜びと感謝のうちに心から神様をほめたたえることができるのです。
 詩編102:19節に「後の世代のために このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」とあります。神様を賛美するために私たちは作られました。神様は、私たちが神様をほめたたえるために十分な(余りある)恵みを与えてくださいました。この喜びと感謝を力として、私たちも神様を賛美することができます。そのように賛美(ほめたたえること)は、私たちの生きる目的、生きる意味なのです。
 聖霊を祈り求め、喜びに満たされ、感謝して神様をほめたたえて歩みましょう。それが私たちの「生きる意味」なのです。
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