8月2日 説教要旨

義と平和と喜び

2020年8月2日
聖霊降臨節第10主日・平和聖日(命の糧)
ローマ信徒への手紙第14章13-23節
牧師 木谷 誠

 本日は、日本キリスト教団の定める平和聖日です。八月、私たちはどうしても平和のこと、戦争のことを考えてしまいます。今から75年前、私たちの国はあの悲惨な戦争に敗れました。敵も味方も大きく傷つきました。私たちの今治市では4月26日、5月8日、8月5-6日の三回の空襲で死者551名以上、重傷者184名以上、旧今治市内ではほとんどの家屋が全焼しました。私たちの今治教会の礼拝堂も8月6日の空襲で消失しました。焼け野原となった今治市から広島に落とされた原爆のキノコ雲が見えたとのお話も聞きました。このような悲劇を二度と繰り返してはならない。その誓いを持って私たちの国は再出発しました。以来75年、様々な問題はあるものの、私たちの国は一応平和を保っています。少なくとも空襲の心配はないですし、子どもたちが逃げ惑う心配もしなくて済んでいます。これは本当にありがたいことです。決して当たり前と思わないで、感謝して、この平和を守っていかなければなりません。そのためには一体どうしたら良いのか。聖書の言葉にご一緒に聴きましょう。
本日のローマの信徒への手紙は食べ物をめぐって教会内に深刻な対立があったことが記されています。その問題の根本には、自分の習慣、考えと相容れない者を排除しようとする人間の罪の現実があります。それは平和の問題ともつながります。そのような現実に対して、パウロは、自分の考えと合わない人、対立する人をも、神は愛し、そのためにイエス・キリストが命を捧げられたことを告げます。自分と対立している人を憎み、排除しようとするならば、それは決して神の喜ばれることではない。むしろ互いに愛し合う努力をしなければならない。それこそ神の喜ばれることであるとパウロは教えます。その上でパウロは以下のように語ります。
17 神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。
 「義」とは「正しい関係」です。それは神様がイエス・キリストの十字架の贖いによって、私たちの罪を赦し、神の子としての永遠の愛の交わりのうちに入れてくださったこと、そのような本来あるべき正しい関係に入れてくださったことです。「平和」とは、「義」によってもたらされる神との平和です。もはや神を恐れなくても良い。神はその怒りを治められ、深い愛の中に招きれてくださるという平安です。そして「喜び」は、「義」と「平和」をいただくことができたことへの、私たちの反応です。このようにして罪をゆるされて、神との愛の交わりに入れられ、もはや神の怒りを恐れずに歩んでいけること、これは大きな喜びです。そしてそれらは聖霊によって与えられます。「聖霊」とは「神の目に見えない働き、または力」です。神の目に見えない力が、私たちのうちに生き生きと働いて、私たちに「魏と平和と慶」をもたらすのです。そして「義と平和と喜び」をいただく時、私たちは、周りの人々を心から愛し、大切にして、共に歩んでいくことができるようになります。このような「義と平和と喜び」に聖霊によって満たされる時、私たちは、微笑みを持って人と出会い、心から愛の心で人に仕えることができるようになるでしょう。そしてお互いの向上に役立つことを求めるようになるでしょう。そのような歩みの中で、私たちは、この平和を守り、この平和を育てることができます。そのためにも、聖霊を求めましょう。聖霊を求めるためには、聖書を読み、祈りことが必要です。そのような営みを繰り返す中で、聖霊が豊かに働き、私たちを「義と平和と喜び」に満ちた「神の国」へと導いてくださいます。そして私たちは、互いに微笑みと愛を持って、平和を作り出していくことができるのです。

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