8月23日 説教要旨

人の限界について問う

2020年8月23日
聖霊降臨節第13主日・神からの真理
ヨブ記28章12-28節
伝道師 𠮷川 庸介

 聖書は多くの人を魅了し唸らせてもきましたが、その中でもヨブ記は格別の魅力を感じる人が多い事でしょう。ですが魅力とともに、理不尽さについても思うに違いありません。この世界には因果応報論という考えがありますが、ヨブ記はその因果応報論でこの世界は説明することなどとてもできないことを教える書物であるからです。
 お読みいただいた28章は知恵の讃歌と呼ばれる「知恵」について語る箇所です。27,29章でヨブが自分の潔白さ、神に従うことの正しさを語っている中、唐突に知恵について語り始める28章はどこか前後と噛み合わないように思えます。そこで、28章冒頭からその真意というものを読み解いて参りたいと思います。
冒頭部分からは、金や宝石など、鉱物には取り出される場所があることがあり、その場所は猛禽や勇猛な獣では見つけることができず、山を崩し、時に川さえも堰き止める技術を持つ人間だけが可能だと語られます。ここには、人が他の何者にも増して特別な存在との自負、傲りともいえる思いを読み取れます。
 しかし、その自負を抱かせたあとに問いかけてくるのです。人間は他の何者も見つけ出せない鉱物や宝石を見つけ出すが、では、「知恵」はどうであるか。知恵は創世記における深淵を指す淵や、時に生命の始まりの場とも呼ばれる海には無く、また金や宝石をでは手に入れることができないと語られます。さらに、畳み掛けるようにして淵にも海にもない知恵はどこからきたのかと問いは続きます。
 この問いについて、誰もが行き着く滅びの国や逃れられない死も知らないとあり、答えが困る問いかけですが、おそらく知恵とは「神によってのみ」見つけ出されることが可能であるのだろうと、ぼんやり分かる気がします。とはいえ、これはおおよそ予想がつく結論であり、結局人にはできないことを神ができるという事実や、聖書的に分かり切ったことを言うために、小難しいことを言っているのかとすら思えます。
 しかし、この分かり切ったとも思えることを通し、27,29章、さらにはヨブ記全体との関係が見えてくるのです。ヨブは自分が正しいことを確信し、友人たちに対して反論を行っています。そこにはヨブ自身が、たまたま自分が考えたように世界や日常が動いてきたためか、私は世の中の真理を知っていると言う傲りの強さがあります。この世の真理や法則は、ただ神ご自身だけが知っているにもかかわらず、です。それはヨブを通し、私たちにも教えられることです。では、そのことに私たちが気がついた後、どのようにすればいいというのでしょうか。
 それが28節主を恐れることが知恵で悪を離れることが分別である、との応答です。かの有名なソクラテスの言葉に「無知の知」という言葉があります。これは「自分が無知である事を知ること」という意味です。世の中は理不尽で、不可解なことだらけであり、それを解き明かしたいとは思います。ですが、その真理を本当に知っているのは神のみであり、人には知ることができないのだと。それが人間の限界があるのだと言うことを悟り、謙虚な思いを時に思い起こしながら、歩んで参りたいと思います。

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