彼らに永遠の命を与える
2020年9月27日
聖霊降臨節第18主日・全召天者記念礼拝
ヨハネによる福音書第10章22-30節
牧師 木谷 誠
9月の最終主日、私たちの今治教会は全召天者礼拝を守ります。141年の歴史の中でたくさんの兄弟姉妹が、今治教会につながり、信仰の道を歩み通されました。今治教会はキリストを礎とし、その上にたくさんの信仰の先輩たちの命が積み重ねられて、今があります。このような今治教会の歩みを振り返り、神様と信仰の先輩たちに心から感謝しつつ、聖書のメッセージを分かち合いたいと思います。
ヨハネによる福音書、今回もユダヤ人たちとイエスのやりとりは噛み合わない、不毛なものになっています。イエスの言葉にいら立つユダヤ人たちは「もしメシアならはっきりそう言いなさい」と迫ります。これに対してイエスは、「私は数々の奇跡によってこれまで何度もメシアであることを証明しているが、それでもあなたたちは信じない。あなたたちはそもそも信じる気がないではないか」、と応えています。「見ないで信じる」信仰はもちろん一番立派なあるべき姿であると、福音書を読んでいてつくづく思います。しかし、「見て信じる」信仰もとても立派なのだと思うようになりました。なぜなら、人間の不信仰の現実は「見ても信じない」有様だからです。ユダヤ人たちは数々のイエスの奇跡を見ているはずですが、信じませんでした。このやりとりから、ユダヤ人だけでなく、人の心の頑なさはこれほど深刻であることが示されます。「見ても信じない」、これが不信仰の現実です。彼らはイエスを信頼していないのです。だから何を聞いても、何を見ても信じず、従おうとせず、「羊」になろうとしないのです。その原因は、ユダヤ人としての立場を守りたいという自己保身、妬み、奢り高ぶりでありました。しかしながら、そのような不信仰の現実の中から、イエスを信頼し、イエスに従う「羊」も現れてきたのです。そしてイエスはそのような羊たちに永遠の命を与えたのでした。
今治教会の創立期、イエス・キリストを信じる人々は「耶蘇(やそ)」と呼ばれ、厳しい迫害、敵意を受けました。しかし、その一方で「羊」も多く現れ、そしてイエス・キリストに従い、信仰の良い証しをなしていったのでした。本日、全召天者礼拝に覚える兄弟姉妹は、まさしくイエス・キリストの「羊」として、多くの苦難の中で、羊飼いであるイエスの声を聞き分け、イエス・キリストに従い、良き証しの歩みをされました。イエスはこの人たちに永遠の命を与えられました。この永遠の命は、「不老不死」を意味するわけではありません。神との永遠の愛の交わり、死によってすら失われない永遠の愛の交わりを指しています。そしてこの永遠の命は私たちにも約束されています。この永遠の命の約束がもたらす希望を生ける者、死せる者全てで分かち合い、希望をもって、私たちもイエス・キリストの羊として歩みを全うしたいと思います。
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