2020年11月02日

10月25日 説教要旨

知恵の呼びかけ

2020年10月25日 降誕前第9主日(創造)
箴言第8章1,22-32節
牧師 木谷 誠

 今週からクリスマスに向けての歩みが始まります。昔から旧約聖書の天地創造のはじめからから神様の救いの御業の流れを順番に辿っていくことによって、クリスマスの準備をします。私たちの中でも、話は始めから順番に丁寧に聴くことが大切です。同じように神様の救いのお働きも、始めから順番に丁寧に聴くことが大切です。
 ちょっと変なことを言います。私は、この説教を準備するとき、一つのことを思いました。それは「この聖書を読もう」ということです。なぜかというと、この箴言の言葉は、ヨハネによる福音書第1章とよく似ていて、すぐにお話がヨハネによる福音書の方に移ってしまって、箴言のお話ではなくなってしまうことがあるからです。そしてこの箴言の言葉はとても素晴らしいのに、それを十分に受け止めないでしまっていることがあります。それはとても惜しいことです。もったいないことです。旧約聖書の言葉は、新約聖書の準備のための言葉という意味もありますが、それだけではありません。旧約聖書の言葉は、旧約聖書の言葉として、十分に素晴らしい神様の言葉なのです。
 箴言で、神はすべてのものよりも先に「知恵」を生み出しました。なぜでしょうか?それが一番大切なものだからです。大地、野、雲、深淵、原始の海と、とても大きな広々とした堂々とした自然が出てきます。全て目に見える「すごい」ものです。でも、そんな目に見えるすごいものよりも目に見えない「知恵」の方が大切なのです。一番大切で、一番必要なもの、なくてはならないもの、それが「知恵」でした。この知恵は「言葉」ということもできます。知恵は目に見えません。しかし、目に見える大地、野原、海、大空よりも先に生み出されました。目に見えるものよりも、目に見えないものの方が大切なのです。
 このように知恵は世界の始まりからありました。そして神と共に世界を祝福し、素晴らしいものにしたのでした。神は知恵と共に、この世界を楽しまれました。神の作られたこの世界は、神の喜びであり楽しみなのです。
そのようにこの素晴らしい世界は神とその知恵によって造られたものである。だからとても大切なものなのです。決して人間が好き勝手して、粗末にして良いものではないのです。私たちはこの目に見える世界が目に見えない神と知恵によって造られ、支えられていることを覚えなければなりません。

30御もとにあって、わたしは巧みな者となり、
日々、主を楽しませる者となって、
絶えず主の御前で楽を奏し、
31主の造られたこの地上の人々と共に楽を
奏し、人の子らと共に楽しむ。

そしてこの知恵は、生き生きと働きます。最初からあった知恵は、ただのことば、ただの情報ではありません。この知恵は、生きて力強く働くのです。
 この知恵は、神と常に共にあって働き、この世界を楽しみました。そして人の子(人間)を喜ばせました。知恵は、人の子(人間)を喜ばせるものです。私たち人間の喜びは、ここにあります。神の知恵こそ、私たちの喜びです。なぜでしょうか?これには「そうだから」と答えるしかありません。神の言葉、神の知恵に聴く人に、神は喜びをお与えくださいます。私もそうでした。ここにいらっしゃる方もそうだと思います。神の知恵が私たちを喜ばせると言う信仰の真理は、神の知恵を、聴いてみて、聴き続けてみて、その生き生きとした力を喜びを経験してみて分かることなのです。
 そのようにして神の知恵を求めるとき、私たちは本当の喜びに満たされます。神の知恵は、私たちに生き生きと働きかけます。そして私たちを導き、助け、私たちの身の回りにある素晴らしい神様のお恵みを教えてくれます。この神の知恵を求めることこそ、私たちの本当の喜びであり、幸せなのです。では私たちはどうすれば良いのでしょうか?「主を畏れることは知恵の初め。」と箴言1章7節にあります。常に神様を畏れ、敬い、神様の言葉を求める、聴くこと、それが知恵を求めることです。それを続けていく中で、私たちは目に見えない神様の知恵と出会い、喜びに満たされていくことができるのです。
posted by 日本キリスト教団今治教会 at 02:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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