1月31日 説教要旨

心を鍛える

2021年1月31日
降誕節第6主日(教えるキリスト)
テモテへの手紙一 第4章7b-16節
牧師 木谷 誠

 本日、皆様と分かち合う聖書の言葉はテモテへの手紙です。私はテモテへの手紙が大好きです。大学院一年生の時、秋田に夏期伝道に行きました。祈祷会はフィリピの信徒への手紙で行いました。その時に、教会の方が「テモテへの手紙もいいですねえ」と言われて、テモテへの手紙に興味を持ちました。。そしてとても励まされたのでした。教会に着任して初めての説教はテモテへの手紙二第2章8節と決めていたくらいです。初めて教会に着任したのは24歳の時、教区の教職では一番若く、夏期伝道の学生の方が年上だったくらいでした。教会の方は、私が若いので、「テモテ先生」などと言って迎えてくださいました。嬉しい気持ち半分、畏れ多い気持ち半分でした。それから37年、今でもテモテへの手紙は大好きです。
 さて、ここでは「信心」という言葉が出てきます。この「信心」という言葉は、聖書の中ではあまり使われていませんが、なぜかテモテへの手紙には多く使われています。この「信心」という言葉は、一般的には「自分の心のあり方」という意味で使われます。これに対して「信仰」は「神と向かい合う姿勢」という意味で、信心よりも神との関わりを大切にしていて、より重要な意味を持っているとされています。
 しかし、テモテへの手紙で用いられている「信心」という言葉は、一般的な「信心」よりも、もう少し大切な意味があります。「神様と向き合った時の自分の心のあり方」とでも言えましょうか。自分の日々の心のあり方を、神様の御心に照らして吟味しなさいという意味で「信心」という言葉が用いられています。心のあり方は目に見えません。でも体を動かすのは心です。行動も大切です。「信心のために自分を鍛えなさい。」という今日の聖書の言葉は、言葉も大切ですが、その根本にある心のあり方が神様に喜ばれるものとなっているかどうかを常に丁寧に調べなさいと勧めているのです。これは体の鍛錬よりも大切です。そのような自分の心のあり方を神様の御心に照らして丁寧に調べる時、何が神様に喜ばれる正しいことであるのか、その基準を持っているかはとても大切です。それは聖書の言葉と祈りです。自分の知識や経験に頼ることは、独善に流れてしまします。人の目や評価ばかりを気にしていてもいけません。どちらも神様を忘れておかしな方向に行ってしまいます。常に聖書の言葉に聴き、祈ることによって、私たちは神様との交わりの中で自分の心のあり方を常に正しい方向に持っていくことができるのです。私たちが聖書を読み、祈ることによって、神様は聖霊という目に見えない力、導きをくださり、私たちを正しく導いてくださいます。だから「聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。」と勧めているのです。これによって「信心」すなわちここでは「神様と向かい合う心のあり方」を正しく保ち、よりよく育てることができるのです。より本質的には、神様によって、より良い者へと育てていただくことができるでしょう。
 私たちも日々の生活の中で、目に見える行い、耳に聞こえる言葉はとても大切です。でもその根っこにある心のあり方はもっと大切です。聖書の言葉に聴き、祈ることによって、神様との交わりを生き、より神様に喜ばれる者へと育てていただきましょう。

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