2021年03月12日

2月28日 説教要旨

悔い改めへの招き

2021年2月28日 受難節第2主日
(悪と戦うキリスト)
マタイによる福音書 第12章22-32節
 牧師 木谷 誠


 受難節を過ごしています。典礼色は、悔い改めと悲しみを意味する紫です。悔い改めは神様の前で自分を振り返り、自分の罪深さを認めることです。それは痛いことです。辛いことです。でも、そんな辛い悔い改めの中で、私たちは神様のより豊かな恵みと愛をいただくことができるのです。今日与えられた聖書は私たちに悔い改めの大切さを伝えています。
 イエスが目が見えず、口のきけない人を癒されました。その時、その場にいた群衆は皆、イエスがダビデの子、すなわちメシアではないだろうかと言いました。これに対してファリサイ派の人々は「イエスは悪霊の力で悪霊を追い出している」と言いました。この違いは何なのでしょうか?
群衆は庶民です。普通の人々です。そんな群衆がイエスを素直に受け入れました。ファリサイ派の人々はそうではありませんでした。彼らは「立派な、偉い」人々です。聖書の知識もあり、聖書の戒めに従って「立派な」生活を送っていて、尊敬されている人々です。イエスはユダヤ教の体制側の人々、「えらい人々」を批判しました。イエスを受け入れたら、イエスをダビデの子すなわちメシアと認めたら、ファリサイ派の人々は変わらなければなりません。今、自分たちが持っている立場を捨てなければならなくなるかも知れません。彼らは、自分が今持っているもの、社会的にも尊敬され、安心して暮らしていける立場を失いたくなかったのです。彼らは変わりたくなかったのです。そんな人間の頑なさがここに表されているのではないでしょうか。そして彼らはそんな自分の立場を脅かすイエスを憎むのです。
 そして彼らはイエスが伝える神の御心よりも、今自分が持っている立場、自分の利益を大切にするようになったのです。そこに罪があります。そして彼らはイエスを十字架にかけて殺してしまいました。このように、頑なな心によって、大切なものを取り違えてしまう。そんな人間の罪のあり方は、イエスを受け入れず、十字架にかけて殺してしまいます。このファリサイ派の人々に見られる罪は私たちの問題でもあるのではないでしょうか?
 31節は何度読んでもドキッとします。赦されない罪があるというのです。これはどういうことでしょうか?神様は人間に意志の自由を与えました。人間には神に従う自由と神に従わない自由があります。いくら神様が愛と赦しを用意しておられても、それを人間が受け入れないならばそれは自分のものにはなりません。神の恵みも人が受け入れないならば、その人に豊かに働くことはできません。赦されない罪、それは神の愛と恵み、罪のゆるしを受け入れないことです、心を閉ざして、拒み続けることなのです。
 毎日の生活の中で、私たちは何を一番大切にしているでしょうか?神様の御心に従うことでしょうか?自分の利益、自分の都合でしょうか?私たちは神様の御心を忘れて、自分の都合の良いことばかりを選んでいることはないでしょうか?今日の聖書はそのことを私たちに問うています。私たちは自分を振り返り、もしも神様よりも自分の都合を大切にするような罪に陥っているならば悔い改めましょう。自分の利益や都合よりも神様の御心を大切にするように努力しましょう。そうできるように聖霊の助けを祈り求めましょう。
 この受難節の時期、ファリサイ派の人々に現れている罪のあり方を自分の問題として受け止め、悔い改めを新たにして、イエスを受け入れ、イエスに従って歩んで参りましょう。
posted by 日本キリスト教団今治教会 at 09:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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