2021年04月22日

4月11日 説教要旨

私たちに送られた救いの言葉

2021年4月11日 復活節第2主日(復活顕現)
使徒言行録第13章26-31節
牧師 木谷 誠

 私は実は「私たち」と言う言葉を、説教で使うことがとても怖いです。「私たち罪人」などと言う言い方を教会ではよく聞きます。もし私が教会に初めて来て、この言葉を聞いたら、いやな感じがします。そして私は説教している牧師さん、こう言いたくなるでしょう。「あなたはどうしてそんなに簡単に言うのですか?私のことをどれだけ知っているのですか?決めつけないでください。」「私たち」と言う言葉は、はっきりと理由を示して使わなければならないと思っています。
 今日の聖書には「私たちに送られた救いの言葉」という言葉が出てきています。「私たち」とはどう言う意味なのでしょうか?ここで「わたしたち」は、まず私、それからユダヤ人、そしてそれ以外の人々全員という意味です。救いの言葉は、まず「私」に送られました。そして「わたし」はそれを誰かと分かち合うのです。この救いの言葉は、「分かち合う言葉」なのです。この「救いの言葉」は自分一人で独り占めしてはいけません。この救いの言葉は、分かち合っても減りません。それどころか、分かち合うとますます大きくなるのです。そして分かち合う者全てにますます大きな喜びを与えてくれます。
 それから、ここで「この救いの言葉」が「わたしたち」に送られたもう一つの意味は、すべての人に与えられているということです。この救いの言葉は、今、この言葉を聞くあなたが、信じるならば、この救いをいただくことができるという知らせなのです。
 では先ほどから何度も使われている「救い」とはどういうことでしょうか?救いはナザレに生まれたイエスという人に関わる出来事ことでした。イエスは救い主として世に来られ、ユダヤ人たちに福音(喜びの知らせ)を伝えました。しかし、ユダヤ人たちは、イエスを救い主と認めませんでした。イエスが伝える福音は、ユダヤ人、特に指導的なユダヤ人にとっては、自分たちの立場を脅かす危険な言葉と思われたからです。そしてユダヤ人たちは陰謀をめぐらし、イエスを十字架にかけて殺してしまいました。ユダヤ人たちは、救い主に示された神の愛よりも、今、自分が持っている富や地位や名誉を大切にしてしまったのでした。しかし、イエスは死者の中から復活されました。イエスを救い主として世に送り、救いの御業を実現される神の御計画は、ユダヤ人たちに代表される人間の罪に決して負けませんでした。イエスは復活されました。死を超えて、新しい復活の命の姿を多くの人々に示されたのです。
 このイエスの復活の出来事は、私たちに大切なことをもたらしました。それは、罪の赦しと神の子としての永遠の祝福(愛の交わり)です。そしてこれが救いです。救いとは、ご自身を十字架にかけて殺してしまうような人間の罪がゆるされ、義とされること(本来あるべき神との正しい関係、愛の関係に入れられること)です。これが「私たちに送られた救いの言葉」です。
 イエスを十字架にかけて殺したユダヤ人たちの罪の姿に現れている自己中心、頑なさは私たちの中にもあるのではないでしょうか?神は、そのような罪人の罪をゆるし、愛の交わりに招き入れるためにイエスを救い主として世に送られたのです。このイエスにおいて示された神を信じる時、私たちは、その罪をゆるされます。そして私たちは神との愛の交わりを生きることができるのです。神から愛され、神の守りと導きをいただき、素晴らしい友、素晴らしい仕事をいただいて、喜びの人生を歩むことができるのです。
posted by 日本キリスト教団今治教会 at 08:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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