5月2日 説教要旨


2021年5月2日 復活節第5主日 (父への道)
ヨハネによる福音書第14章1-11節
牧師 木谷 誠

 以前、東日本大震災被災地の幼稚園と保育園を訪ねてお話を聞きました。私が訪ねた園の園児たちに共通していたことがあります。それはどの子も落ち着いて素直に教師の言葉に従っていたということでした。東日本大震災、未曾有の大災害です。今、何が起こっているのか、何をしたら良いのか?子どもたちはわからなかったと思います。子どもたちには自分の身を守る知識も能力もありません。そのような危機の中で子どもたちは幼稚園教師、保育士をただただひたすら信じたのです。
 本日の聖書において、イエスはもうすぐ世を去ろうとしています。弟子たちは今何が起こっているのか、これから何が起こるのか、何もかもわからなかったことでしょう。それ故に弟子たちは大きな不安がありました。その様な弟子たちに対してイエスは、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と言われました。イエスの言っておられることはわからない。でも、イエスという人を信じることはできる。イエスを遣わされた神を信じることはできるのではないでしょうか。「わかる」ことと「信じる」こととは同じではありません。わからなくても信じることはできます。その人との交わりの中で本当に信頼できると思ったら。その人の言っていることはわからなくても、言っているその人を信じるということは、私たちの日頃の人間関係の中でもあることではないでしょうか。
 弟子たちがわかることは、イエスはもうすぐ自分たちから離れていくらしいということだけでした。イエスは、世を去って父のもとに行き、そこに弟子たち、私たちの場所を用意して、私たちを招いてくださいます。そのためにイエスは世を去らなければなりませんでした。しかし、弟子たちにはまだそれがわかりませんでした。訳がわからず不安を訴えるトマスの言葉は弟子たち全員の思いでした。その様な弟子たちに対してイエスは言われます。「わたしは道であり、真理であり、命である。」「わからないのなら、私を信じなさい。そうすればいずれわかる様になる。」とイエスは言われるのです。「道」、それは「進む方法」ということができます。そこを見て歩み続けていれば、目的地にたどり着くことができます。これから何が起こったとしても、どんなに困難があったとしても、不安でたまらなかったとしても、この道をしっかりと見ていれば大丈夫なのです。そしてその「道」こそイエス・キリストです。イエスの言葉に常に聞き、従うことによって、私たちもこの大きな困難な時代を歩んでいくことができます。そしてこのイエスは、「道」であると同時に「真理」です。すなわちイエスが私たちの道であることは、いつの時代でも、どこにいても変わることはありません。そしてイエスは命です。命は交わりです。世を去った後も、聖霊を通して、イエスは私たちと愛の交わりを持ってくださいます。このイエスを見る時、私たちはそこに父なる神が示してくださっている愛を実感できるのです。
 今、私たちは大きな困難の中にいます。これからどうしたら良いのか、途方に暮れてしまいます。その様な時にあっても、その様な時だからこそ、常に「道」であるイエスの言葉を思い、イエスを信じ、イエスの導きに従って歩んでいきたいと思います。

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