2021年05月19日

5月9日 説教要旨

天の父よ

2021年5月9日 復活節第6主日 (イエスの祈り)
マタイによる福音書第6章5-13節
牧師 木谷 誠

 以前、子どもたちに主の祈りのお話をした時、一番伝えたかったことは、「主の祈りはイエス様が教えてくださったお祈りなんだよ」、神様は私たちのお父さんなんだよ」ということです。主の祈りは、唯一イエス・キリストが教えてくださった祈りです。その意味で教会の最も大切な宝の一つです。しかし、その一方で「主の祈りは教会の最大の受難者である」という言葉があります。主の祈りは、礼拝でも集会でも数え切れないほど祈られていますが、その意味をしっかりと味わって祈られているとは言えないからです。本日は、主の祈りの大切な意味、特に見落とされやすい「天におられるわたしたちの父よ」の意味を皆様にお伝えし、その恵みを分かち合いたいと思います。
 本日お読みいただいた聖書は、第5章から始まる山上の説教の一部です。この山上の説教の特徴の一つは、神を「あなたがたの天の父」と呼ぶことです。これは決して当たり前のことではありません。驚くべき大きな恵みなのです。神は「天」におられます。「天」とは人間が決して辿り着くことのできない神の座です。その様に遠く隔たった神が私たちの「父」となってくださるのです。「あなたがた」とはイエスのお話を聞いている人たちを指しています。神様が「父」であるならば、イエスの言葉に聴く者は「子」ということになります。これはイエスの言葉に耳を傾ける者という意味では私たちをも含んでいると考えて良いでしょう。神を「父」と呼ぶことはあくまでも比喩です。本来、神は創造者であって、私たちを造られた方です。そして私たちは神様によって造られたもの、被造物(作品)です。厳密な意味で、私たちは神様の「子」ではありません。神様の「子」はイエス・キリストだけです。それなのにイエス・キリストが神様を「父」しかも、「あなた方の父」として紹介する理由は何なのでしょうか?
 ここでイエスは、神様を「主」ではなく、「父」と呼ぶ様に勧めています。「主」という言葉で神を表現する時、「主」と向かい合う私たちは「僕、奴隷」となってしまいます。そこにあるのは、服従の関係です。もちろん神様を「主」と呼ぶことにも大切な意味があります。しかし、ここでイエスは、神様と私たちの関係は単なる服従の関係以上のもの、もっと生き生きとした喜びと感謝に満ちた「父と子」のような関係であると伝えたかったのです。イエスが「父」のイメージで伝える神様は、私たちを愛しておられ、私たちの罪を赦して、愛の関係を与えてくださる方です。罪深い私たち、繰り返し神に背く私たち、神様は、その様な私たちの「父」となってくださるのです。そこでイエスが伝えたいことは、神様との関係は、一方的な服従の関係以上の、暖かい喜びに満ちた愛の交わりなのだということです。神様が父となってくださり、私たちを子としてくださり、暖かい悦びに満ちた愛の交わりへと招いてくださっているのです。そのようにイエスは、山上の説教において、喜びと感謝に満ちた神との愛の交わりの世界を私たちに伝えています。神様は、私たちが「父」と呼ぶことをおゆるしになってくださいました。そして私たちを愛し、私たちの祈りを喜んで聞いてくださいます。なんと心強いことでしょうか。この恵みを喜び、感謝して、神様を「父」と呼んで歩んでいきましょう。
posted by 日本キリスト教団今治教会 at 21:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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