5月30日 説教要旨

生きる意味

2021年5月30日 聖霊降臨節第2主日(神の富)
エフェソの信徒への手紙第1章3-14節
牧師 木谷 誠

 本日のエフェソの信徒への手紙は、「ほめたたえる(たたえる)」という言葉が繰り返し出てきます。誰をほめたたえるのか?もちろん神様をほめたたえるのです。ほめたたえることは、強制できません。強制された賛美(ほめたたえ)ほど虚しいものはありません。私たちが心から神様をほめたたえるためには、私たちが神様から素晴らしい恵みをいただいて喜びと感謝に満たされることが必要です。神様は、私たちが神様を心からほめたたえるために素晴らしい恵みを与えてくださいました。その恵みとはどのようなものだったのでしょうか?
その恵みは、まず第一に神様がイエス・キリストにおいて私たちを選んでくださったことです。私たちに何か価値があったからではありません。全くの恵として、ただ愛して神様は私たちを選んでくださいました。
 第二に神様はイエス・キリストによって私たちの罪を赦してくださいました。そのためにイエス・キリストが命を捧げて私たちの罪を償ってくださったのです。その結果として、私たちは、神様との愛の交わりに入れていただきました。そして私たちは神様に導かれて人生を歩むことができるようになりました。私たちは神様の救いのご計画に参加していただくことができるようになりました。色々な困難があっても、神様の救いのご計画は必ず完成します。私たちはそのような恵みと希望を与えられ、喜びと感謝のうちに神様をほめたたえて生きることができるのです。
 それでは神様をほめたたえるとは、具体的にはどういうことでしょうか?それは私たちがそれぞれ生活の場で、出会う人に愛をもって仕えることです。それは私たちが、神様の恵みに満たされ、今、希望を持って愛のわざに励むことです。そのためには、私たちには神様との愛の交わりの喜びが必要です。聖霊は、私たちの心に働きかけ、私たちに神様との愛の交わりの喜びを実感させてくださいます。その喜びで私たちに満たしてくれます。この聖霊によって、私たちは喜びと感謝のうちに心から神様をほめたたえることができるのです。
 詩編102:19節に「後の世代のために このことは書き記されねばならない。「主を賛美するために民は創造された。」とあります。神様を賛美するために私たちは作られました。神様は、私たちが神様をほめたたえるために十分な(余りある)恵みを与えてくださいました。この喜びと感謝を力として、私たちも神様を賛美することができます。そのように賛美(ほめたたえること)は、私たちの生きる目的、生きる意味なのです。
 聖霊を祈り求め、喜びに満たされ、感謝して神様をほめたたえて歩みましょう。それが私たちの「生きる意味」なのです。

この記事へのコメント