6月27日 説教要旨

心も思いも一つにし

2021年6月27日
聖霊降臨節第6主日(主にある共同体)
使徒言行録第4章32-37節
牧師 木谷 誠

 本日の聖書では、初代教会の様子が描かれています。初代教会の人々は、心も思いも一つにして、一切のものを共有していました。使徒たちの証しは、人々から好意を持たれ、貧しい人は一人もいませんでした。それはまるで原始共産制(政治的抑圧や社会的不平等のない理想的な社会)のようです。もしかしたら明治期、伊勢時雄牧師を中心に伝道していた頃の今治教会もこの様子に似ていたのかもしれません。その様子は文字にするととても簡単に見えます。しかし、これは決して簡単なことではありません。初代教会は、色々な人の集まりです。考え方も生い立ちも違います。そのような人の集まりとして始まったばかりの教会が心も思いも一つにしていたというのです。人間の集まりでは、いろいろな問題が起こり、ギクシャクしたりすることも多いです。そんな寄せ集めの集団が、お互いの違いを超えて、一つになって、あたかも家族のように一切を共有している。それは決して簡単なことではありません。当たり前ではないのです。どうして可能なのでしょうか?
 それは聖霊の働きによるのです。人々の心に働きかけ、イエスをキリスト、救い主と心から信じる信仰を与える神からの目に見えない働き、それが聖霊の働きです。さらに聖霊の働きは、個人の心に働きかけ、信仰を燃え上がらせることにとどまりません。聖霊は信じる者同士を、神様の子どもとして、兄弟姉妹として、神の家族として、愛の交わりのうちに結びつけてくださるのです。聖霊によってお互いを思いやり、支え合い、分かち合う愛の共同体が実現していくのです。
 ここでの「一つ」とは、お互いの個性を無視したり、押しつぶしたりして、無理矢理に結びつくことではありません。それはお互いの個性を生かし、お互いの違いも認めながら、しかも一つの家族のように共にあること、支え合うことです。お互いに「兄弟姉妹」、「家族」ですから、全てを共にすることに抵抗はなかったのでしょう。それらは聖霊なる神の働きによって可能となるのです。
 私たちは一つになることの難しさをひしひしと感じることがあります。みんな、イエス・キリストを信じていながら一つになれない、大きな溝を感じる時があります。この人(この人たち)とどうしたら上手くやっていけるのだろうと途方に暮れてしまいます。そのような時、どうすれば良いのか?人を見ていても問題は解決しません。本当の解決は、神様を見上げ、聖霊の助けを祈り求めることです。私たちを一つに結び合わせるのは、私たちの能力、人間性、気配りではありません。それは私たちの心に働きかけ、神様への愛、お互いへの愛を燃え上がらせてくださる聖霊の働きを祈り求めることなのです。聖霊は、そのような意味において、愛の共同体、和解の共同体を作り上げる原動力です。この聖霊は聖書の言葉を通して豊かに働きます。聖書の言葉を力あるものとします。そして聖霊の働きは祈ることによってますます深められていくのです。そのようにして聖霊を求める時、私たちは、和解の共同体、愛と分かち合いの共同体して歩むことができるのです。

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