悪霊との戦い
2021年7月11日
聖霊降臨節第8主日(生活の刷新)
使徒言行録 第19章11-20節
牧師 木谷 誠
本日の聖書で、使徒パウロは、若い伝道者テモテに、支配者をはじめ、全ての人のために祈ることを勧めています。私たちは「全ての人」をどう理解したら良いでしょうか?それは、自分の仲間、自分に良くしてくれる人、自分に都合の良い人のためだけに祈るのではありません。それに加えて、自分に良くしてくれない人、自分を迫害する人、自分を傷つける人、自分に都合の悪い人のためにも祈りなさいということです。祈りは、自分の願い事を神様に申し上げることで終わってはいけません。自分の都合や好き嫌いに関係なく、全ての人のために祈ることが求めれられています。なぜなら神様は一人の例外もなく、全ての人を愛しておられるからです。そして全ての人が罪をゆるされ、神様の愛を受け入れ、神様との愛の交わりに入るために、イエス・キリストは十字架にかかられたのです。これはイエスの「山上の説教」とつながります。「しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。(マタイによる福音書第5章44-45節)」この愛を伝えるために、パウロも、この手紙の受取人であるテモテも、神様から遣わされました。そして私たちも、神様の愛を今治の町に伝えるために遣わされているのです。
祈りの中身は具体的には、願い、祈り、執りなし、感謝です。大まかに整理すれば、願いは自分のことについて願うこと、祈りは神様に色々なことをお話しすること、執り成しは誰かのために祈ること、感謝は文字通り神様に感謝することです。これらに祈りの初めの呼びかけと締め括りの「主イエスの御名によってアーメン」を加えたら祈りになります。ここでは「執り成し」の大切さが強調されています。
「祈れないほど忙しい?」、私の大好きな本です。内容も良いのですが、本の名前にインパクトがありますね。以前、あれこれ忙しいと祈りがついつい疎かになりそうなことがありました。そんな時にこの本と出会ったのです。読む前から、このタイトルに「やられました」。一日は24時間(1440分、86440秒)あります。その中で祈る時間がないというのはどういうことでしょうか?そこで試しに主の祈りを唱えてみました。そして時間をはかりました。どれくらいかかったでしょうか?かなりゆっくり唱えて、途中で一回くしゃみをしても41秒でした。とても短い時間です。そんな時間すら取れないのは、時間の問題ではなく、心の問題です。日本語では、「いそがしい」は「心が亡くなる」と書きます。昔の人はやっぱりえらかったのですね。大切なことは最初にやりましょう。後回しにしたらできなくなります。朝起きたらまず祈る。寝る前に祈る。どんなに短くても良いからまずやってみることをお勧めします。そこから安らかな神様に喜ばれる一日が始まるのです。
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