7月11日 説教要旨

悪霊との戦い

2021年7月11日
聖霊降臨節第8主日(生活の刷新)
使徒言行録 第19章11-20節
牧師 木谷 誠

 本日の聖書では、病の癒やし、悪霊との戦いの物語が記されています。パウロはまるでイエスのように人々を癒し、悪霊を追い出していました。それは厳密にはパウロが行っていたのではありません。パウロを通して、神が行っていたのです。病に苦しむ人、悪霊に苦しむ人(おそらくは発作性の病気に苦しむ人)への神の愛を伝えるためにパウロは一生懸命に働いていたのでした。パウロは、自分を売り込むため、自分が名誉や利益を得るために働いていたのではありません。彼は、神の栄光を表すために働いていたのです。そのようなパウロを神は祝福し、各地で目覚ましい業をさせていたのでした。
 そこにユダヤ人の祈祷師たちが登場します。彼らは祭司の息子たちでした。彼らもまたイエスの名によって悪霊を追い出そうとしましたが、うまくいきませんでした。それどころか悪霊たちの逆襲(?)を受けて、ひどい目に遭ってしまいました。どうしてでしょうか?
 理由は簡単です。おそらくこの祈祷師たちは自分を売り込もうとして、自分の利益のために悪霊を追い出そうとしたのでしょう。神様は人の心を見られます。そのような心を持つ者たちを神様は決して祝福なさいません。当然、彼らに悪霊を追い出せるはずもありませんでした。自分を捨てて神の栄光のためにひたすら尽くしたパウロとの違いは明白だったのです。彼らの失敗は、イエスの偉大さをますます広めることとなりました。そして多くの人々が、悔い改めて、イエスに従いました。多くの人たちはこれまでの人生の歩みを悔い改めました。その悔い改めは自分の利益のために働くのではなく、神の栄光のために働くという人生の新しい歩みでした。そして彼らも悪霊との戦いに加わっていったことでしょう。
 ここでもう一つ大切なことがあります。それは誰と戦うかということです。イエスは、そしておそらくパウロも、悪霊と戦う時、悪霊に取り憑かれている人と戦っていたのでありません。悪いのは人ではない。その人の内にある神にそむく力なのです。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。」(エフェソの信徒への手紙第6章12節)とあるとおりです。そしてそのような戦いを支える力は、「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」(エフェソの信徒への手紙第6章11節)です。「神の武具」とは、自分の栄光や利益ではなく、神の栄光が現れるために自分を背後に退ける勇気、そして神に依り頼む信仰なのです。私たちも神の栄光を今治の町に伝えるために遣わされます。それは悪霊との戦いになることがあります。その時にこのような信仰と勇気を思い出して歩んで参りましょう。

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