キリストに仕える
2021年8月15日
聖霊降臨節第13主日(家族)
コロサイの信徒への手紙 第3章18-4章1節
牧師 木谷 誠
本日の聖書は、かなり時代遅れのような印象を持たれる方もおられるでしょう。男性優位、奴隷制肯定の問題も感じます。そのような時代の制限もあるように思えますが、この聖書のメッセージの中心は、家族、近い関係にある者同士がお互いを大切にして、愛し合いなさいということです。注目すべきことに、妻と夫、親と子、主人と奴隷、それぞれ、一方的に服従するのでなく、お互いを大切にし合うことが求められています。パウロは、神の前でお互いがお互いを大切にすることを勧めているのです。そしてお互いを大切にすることは、キリストに仕えることに繋がっていくのです。どういうことかと申しますと、マタイによる福音書第25章40節には「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」と書かれています。目の前の人を大切にすることは、神を大切にすることとつながるのです。そして神とキリストは一体ですから、神を大切にすることは、キリストを大切にすることにもつながります。神はその目の前の人を深く愛しておられます。神が愛しておられるその人を大切にしたら、神はとてもお喜びになるのです。そしてそれは同時に、キリストに仕えることへも繋がっていくのです。私たちでも、自分の子どもが困っている時、誰かが子どもを助けてくれたなら、自分を助けてくれたことと同じか、それ以上に嬉しいはずです。感謝するはずです。それと似ています。
それらを踏まえながら、コロサイの信徒への手紙で、パウロは家族という最も近い関係にある人を大切にすること、愛することもキリストに仕えることにつながると教えているのです。
先に引用しましたマタイによる福音書風に言えば、「私が大切にしている(愛している)この最もあなたの近くにいる人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言うこともできるのです。そのようにしてパウロは、互いに愛し合うこと、支え合うことは、最も近い関係、すなわち家族から始まるのだとコロサイの信徒の手紙で私たちに伝えています。そしてその営みは、目の前の人に支えることを通して、神に仕えること、キリストに仕えることへとつながっていくのです。
八月、私たちは平和のことを思わずにはいられません。平和はどこから始まるのか、平和は家庭から、家族を愛すること、最も近くにいるものを愛することから始まります。社会の最小単位である家族がお互いを大切に、互いに愛し合い、仕え合う時、そこから真の平和の歩みが始まるのです。
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