固く結び合いなさい
2021年9月5日
聖霊降臨節第16主日(教会の一致と交わり)
コリント信徒への手紙一 第1章10-17節
牧師 木谷 誠
「固く結び合いなさい。」使徒パウロがそう命じるのは何故でしょうか?教会に集まる人同士が、「付き合いが長いから」でしょうか?「同じ町に住んでいるから」でしょうか?「利害が一致するから」でしょうか?全部違います。その根拠は9節です。「神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。」。「固く結び合いなさい」と命じる根拠は、人間関係でも、地縁でも、利害関係でもありません。それはイエス・キリストによって実現した救いの出来事なのです。イエス・キリストの十字架に示された神の愛によって、全ての人が罪をゆるされ、神様との(イエス・キリストとの)愛の交わりに入れていただきました。私たちは、「神の子」とされたのです。神様は、私たち一人一人をご自分の子どもとして愛してくださいます。自分の子どもが憎み合うことを喜ぶ親がどこにいるでしょうか?神様は、子どもである私たちが固く結び合い、心を一つにし、思いを一つにしていることを喜ばれるのです。逆に、神様は、私たちが仲違いしたり、分裂して憎み合っていることを深く悲しまれます。また世の中に対しても、教会に集う者が、神の子として、互いに愛し合い、心と思いを一つにしているならば、それは良い証となります。逆に教会の中で仲違いしているならば、教会が述べ伝えている教えも、イエス・キリストの素晴らしさも信じてもらえないでしょう。
今治教会初代牧師伊勢(横井)時雄は講演の中で、キリストの愛に応える方法を三つ語っています。ここではその第一を引用します。「第一、イエスの言葉に我がなんじらを愛せしごとく、なんじらも互いに相愛すべし、これによりて世の人なんじらの我が弟子なることを知るべしとござります。我ら互いに相愛しキリストが我らを愛したまいしごとくそれと毛頭(もうとう)もたがわぬように相愛しますれば、すなわちキリストの愛が世に現れます。 中略 教会はキリストの体です。世人はこの体を見て、その心なるキリストを測ります。」世の中の人は、キリストの体である教会の様子を見て、キリストを判断します。教会が、いがみあい争っていたら、教会のかしらであるキリストも信用されなくなってしまうのです。私たちが神様に喜んでいただき、世の中に良い証をなすために、お互いが固く結び合い、心と思いを一つすることが絶対に必要です。そのために、私たちは繰り返しイエス・キリストの救いの出来事を確かめなければなりません。救いをもたらす神の言葉に聞き続け、祈り続け、聖霊をいただいて、神様の愛に満たされることが必要です。聖書の言葉は、パウロの時代に尊ばれていたギリシアの文学や哲学のような知恵の言葉ではありません。しかし、神様は、聖書の言葉を通して、神の愛、イエス・キリストの愛に満たされ、喜びで満たしてくださいます。聖書の言葉はそのような体験をもたらす力ある言葉なのです。この言葉に常に聞き、祈る中で、私たちは固く結び合い、思いと心を一つにして共に歩むことができるのです。
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