11月27日 説教要旨

恵みの約束

2022年11月27日 待降節第1主日・
アドヴェント(主の来臨の希望)
エレミヤ書 第33章14-16節
牧師 木谷 誠

 今週から始まるアドヴェントは12月25日のクリスマス前の四つの日曜日、それぞれの礼拝のテーマと聖書が与えられています。本日のテーマは「主の来臨の希望」です。与えられた聖書はエレミヤ書です。アブラハム、モーセ、ダビデに与えられた約束(契約)は、それぞれにとても大切な意味を持っていますが、結果としてどの約束もイスラエルは守ることができませんでした。約束が守られない。約束が成り立たない。このままでは神とイスラエルの関係は成り立たなくなってしまいます。
 たとえば、友達関係で考えてみましょう。あなたの友達があなたとの約束をいつも破っていたら、果たして友達でいられるでしょうか?それは難しいのではないでしょうか?
 それでもなんとかしてイスラエルを救うために、神は新しい約束(新しい契約)を与えてくださいました。約束は関係を示しています。神が与える約束は神とイスラエル、ひいては私たちの関係を示しています。また約束はそれを与えてくださった神の心を表しています。では、本日、エレミヤ書が告げる「恵みの約束」はどのようなものでしょうか?そこに示される神とイスラエルとの関係、約束を与えてくださった神の心はどのようなものなのでしょうか?
 まずこの約束は「恵みの約束」です。「恵」ということは、タダで与えるということです。ここではイスラエルが約束の相手として相応しくないにもかかわらず神は守り導くということです。イスラエルが約束を破っても、神は約束を破りませんでした。そしてその度に約束の内容を変更して、イスラエルに守りに守りと導きを与え続けました。なんとかしてイスラエルを救いたい。という神の強い救いの意志が示されています。
 私たちの人生には様々な悲しみがあります。その中でも約束を破られる、裏切られるということは本当に辛いことです。神も愛するイスラエルが約束を破り、裏切った時には、大きな悲しみがありました。それでも神の愛は変わりません。繰り返し裏切り、時には敵対してしまうどうしようもないイスラエルの民を、神はなおも愛し続け、見捨てず、導き、守り、続け、愛の交わりを守ってくださいます。これが神の恵みの約束です。
 この恵みの約束は「正義の若枝(15節)」によって果たされます。この若枝によって、正義と公平が実現します。イスラエルにおいても、強い者が正義を捻じ曲げ、弱い者を虐げ抑圧していました。それは神に背くイスラエルの罪の姿でした。
 そのようなイスラエルを私たちに対して、愛の交わりを実現するために新しい恵みの約束を果たすために来る「正義の若枝」こそイエス・キリストであると聖書は告げています。
 ここで「恵みの約束」についてお伝えする時、エレミヤ書第31章の新しい契約につても触れたいと思います。この新しい契約は裏切り続けるイスラエルに対して与えられます。神がイスラエルの罪をゆるし、その心に直接働きかけ、愛を注ぎ、愛の交わりをもたらすという約束です。本日の「恵みの約束」の内容はこの「新しい契約」と重なります。この約束は、旧約聖書においては、未来の希望として述べられています。その希望を実現する「正義の若枝」こそイエス・キリストなのです。このイエス・キリストによって恵の約束(新しい契約)が「始まりました」。この恵みの約束は、「進行中」です。始まってはいますが、その完全な実現はまだ未来の希望です。だから「約束」です。
 この「恵みの約束」は破られることはありません。たとえ私たちが約束を破っても、神は、イエス・キリストは約束を破りません。約束を繰り返し裏切ってしまう弱さと罪にまみれた私たちに対して、神は、イエス・キリストは、忍耐強く愛することをやめようとしません。
 この方によって恵みの約束は始まりました。そしてこの約束は必ず完成します。この約束を完成するために来てくださった救い主がイエス・キリストなのです。
 その「恵の約束」に示された神の愛と忍耐を確かめ、喜びと感謝を新たにしたいです。二つ目はこの約束が必ず完成することを信じましょう。このことを確かめ、希望を持って、この恵の約束を下さった神に喜ばれる歩みを成していきましょう。これらのことをご一緒に確かめ、今年の喜びのクリスマスに向けて歩んでまいりましょう。

この記事へのコメント