12月25日 説教要旨

救い主がお生まれになった

2022年12月25日
降誕節第1主日(キリストの降誕)
ルカによる福音書第2章8-12節
牧師 木谷 誠

 クリスマスおめでとうございます。礼拝堂耐震補強改修工事が完了した礼拝堂において、皆様とご一緒に初めてのクリスマスを祝えることを心から嬉しく、感謝いたします。
 10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
 物事において、順番はとても大切です。特に何を一番最初にするのかということは大切です。この「順番」にはメッセージがあります。
 神様はなぜこの救い主の知らせを最初に羊飼いに伝えたのでしょうか?
 それは救い主の誕生という出来事がもたらす喜びに羊飼いたちも招かれているということです。社会の底辺を支えていながら、その存在が認められていない人々がいます。しかし、人が見落としても、神は見落としません。
 救い主の誕生が「民全体に与えられる大きな喜び」と言う時、その喜びに全ての人が招かれています。神様は誰も見落としてはいません。当然羊飼いも見落とされてはいないのです。神様は救い主の誕生という喜ばしい知らせを最初に羊飼いに伝えました。この順番にはそのようなメッセージが込められているのです。
 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。
 順番と同じく目に見える「しるし」も大切です。目に見える「しるし」は目に見えないメッセージを伝えているからです。
 救い主は布にくるまって飼い葉桶の中に寝ています。これはおかしくありませんか?あまりにも貧しすぎませんか。このあまりにも貧しい救い主誕生の様子が「しるし」なのです。
 救い主は社会の最も貧しい人たちと共にあるために最も貧しい姿でお生まれになられたのです。社会が無視し、隅に追いやっている人々見をを神は決して見捨てません。神はその民の中の一人も見落とすことなく、愛しておられることを示すために最も貧しい姿でお生まれになられたのです
2020年「世界難民移住移動者の日」ローマ教皇のメッセージの中でローマ教皇フランシス一世は「イエス・キリストは難民だった」と言っています。たしかにヘロデの迫害を逃れてエジプトに逃れたイエス一家は難民であったと言うことができるでしょう。そこにはイエスは今日も多くの苦しみを抱える難民の方々と共におられると言う神の心が示されています。さらにイエスが布にくるまって飼い葉桶に寝かされていたと言うことは、「イエスはホームレスだった」と言うこともできるのではないでしょうか?社会の構造からはみ出て阻害される難民やホームレスのような方々も救い主の愛から除外されてはいないことを伝えるために布に包まれて飼い葉桶に乳飲み子という「しるし」が与えられたのです。
この羊飼いの出来事を受け止める時、私たちは神が私たち全てと共にいてくださること、そのために救い主としてイエス・キリストがお生まれになったことの喜びで満たされます。
 私たちは、社会で阻害されている人、困っている人たちと出会う時、イエスと出会うことになりまます。なぜならばイエスは常に阻害された人々と共におられるからです。
 このクリスマスのメッセージに出会う時、私たちは問われています。私たちは自分の身の回りの寂しい人、困っている人、阻害されている人と真摯に出会っているでしょうか?この嬉しいクリスマスに苦しんでいる人、泣いている人、飢えている人、命を奪われている人がいることを私たちは心に留めているでしょうか?私たちは自分ができることをしているでしょうか?それを忘れて、それを無視してクリスマスをお祝いするなら、そんなクリスマスはクリマスではありません。
 キリストの誕生、救い主の誕生は、私たちと共にいて愛してくださる神が来られたと言う大いなる喜びの知らせです。この喜びを携え、私たちが地域の悩める人々、悲しめる人々に出会い、仕える時、私たちはそこでキリストと出会うことができます。さらに大きな喜びで満たされます。クリスマスの時、私たちはこの喜びと出会うためにここから歩み出してまいりましょう。
 クリスマスおめでとうございます。

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