忍耐して実を結ぶ
2023年2月5日降誕節第7主日
(教えるキリスト)
ルカによる福音書 第8章4-15節
牧師 木谷 誠
イエスはたとえを用いて多くを語られました。本日の種まきのたとえにおいて、落ちた種はみな同じ種です。同じ種でも落ちた場所によってその後の結果が大きく変わるということです。ここまでは誰でもわかることです。
イエスのメッセージは三つに整理されます。
イエスが言いたかったことの一つ目は、「同じ種でも落ちた場所によってその後の結果が大きく変わる」。イエスはこの簡単な「原理」を、御言葉とそれを聞く人の受け止め方(応答)と関連づけているのです。これがイエスが言いたかったことの一つ目です。
全く聞かない人は、道端。種として落ちた御言葉は、何ももたらしません。聞いて忘れる人は石地。中途半端な人は茨。種として落ちた御言葉は、豊かにに実を結ぶことはできません。
ここでイエスは、「人」と言っています。しかし、私は「姿勢」と言い換えても良いように思えます。「人」と言うともう一生変われないように思えるからです。私たちは受け止める姿勢を変えることによって、「道端」から「良い地」に変わることができます。
二つ目、イエスがこの譬えを用いて言いたかったことがあります。それは、地に蒔かれた種は、しっかりと受け止めると、計算を超えた豊かな実りをもたらすということです。
同じように神の御言葉は、私たちがしっかりと受け止めると、私たちの知識や計算を超えた遥かに豊かな恵みをもたらします。
三つ目はその理由です。その理由は、種の中には、芽を出し、葉を広げ、豊かな実を結ぶ力があるということです
同じように神の御言葉は、その人の中で自ずから働いて、地に豊かな実りをもたらします。そのような自ら育ち、実を結ぶ力を、神は御言葉に込めているのです。
イエスは、このたとえを用いて、私たちの常識を超えた実り豊かな人生へと私たちを招いているのです。
大切なことは、最後の良い地に落ちた種の解説に耳を傾けることです。すなわち「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」との言葉に集中して聴いたら良いのです。
しかし、「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ」などと言われるとなんだかとてもハードルが高くて、厳しいように思えます。「立派な善い心」なんて(少なくとも私は)持っていません。どうしたらこんなことができるのでしょうか?
その鍵は、イエスの「聞く耳のある者は聞きなさい」という言葉にあります。先ず御言葉に聞くことです。大切なのはイエスの言葉に真剣に聞くことです。そして一生懸命考え、祈ることです。全てはそこから始まります。
子どもの頃、ロビンソン・クルーソーの本が大好きでした。彼はとても優れた人でした。飢えも寒さも、安全も自分の力でなんとかしました。しかし、どうしようもないことがありました。それは孤独、寂しさでした。
そんな時、彼は聖書のことを思い出して難破船の中から聖書を見つけてきました。そして夢中になって聖書を読んだのです。
すると不思議なことが起きました。心の中の寂しさが消えていったのです。彼はいつも神様がそばにいてくださるように感じました。聖書を通して、彼の孤独と寂しさは癒やされました。そして彼は無人島での孤独を克服し、無事に帰ることができたのでした。
聖書の言葉、御言葉は力を持っています。聖霊という目に見えない神の働きは、聖書の言葉、御言葉によって豊かに働きます。
私たちも聖書の言葉、御言葉を通して働く聖霊の力によって、慰め、励まし、導きをいただくのです。そして聖霊は私たちを実り豊かな人生へと導きます。
「立派な善い心」も神様が聖霊によって与えてくださいます。私たちは「聞く耳のある者は聞きなさい」というイエスの声を受け止めて、しっかり聞けば良いのです。
イエスがここで種まきのたとえを用いて伝えたかったことは、「神の言葉に真剣に聞く人、そこから聞き従う歩みを始める人は、聖霊をいただいて、人間の計算を超える大きな恵みをいただくことができる」ということです。
イエスは、私たちを実を結ぶ、実り豊かな喜び溢れる人生へ招いているのです。「聞く耳のあるものは聞きなさい」とのイエスの招きに従って参りたいと思います。
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