共に感謝と分かち合いー分けると増える
ウィンウィンからギブンギブンへー
2023年2月19日降誕節第9主日
(奇跡を行うキリスト)
ルカによる福音書 第9章10-17節
牧師 木谷 誠
本日の聖書に記されている五千人の食事は、イエスの働きにおける「奇跡」と分類されます。
このようなイエスの働きについて、特に「いやし」や「奇跡」について、真っ先に持つ思いは「本当?」ではないでしょうか。
聖書に記されている「いやし」や「奇跡」をどう受け止めるか?私は書いてある通りに信じる立場に立って、聖書をお伝えしています。神様の救いのご計画の中で、イエス・キリストを通して、人々に神の働きの素晴らしさを伝えるため、人々を救いへ導くため「いやし」や「奇跡」は必要だったのです。
今日ではイエス・キリストと同じような「いやし」や「奇跡」は起きません。しかし、違った形で素晴らしい「いやし」や「奇跡」は起こっています。
本日の聖書はイエスの働きの中から「奇跡」を中心に伝えています。イエスの周りに人が集まり、いつの間にかもう夕方近くになってきました。イエスは弟子たちに対して、食事を用意するようにと言われたのです。人々は男性だけでも五千人いました。とても無理です。弟子たちの言うことはもっともです。五千人イエスはどうしてこのような無茶なことを言われたのでしょうか?
イエスの言葉を聞いて、弟子たちは自分たちの無力を思い知らされました。この「無力を思い知ること」がイエスの無茶な命令の一つ目の意味です。目の前の課題に対して、自分の力は本当に小さなものであることをイエスは弟子たちに気づかせました。そして自分の力だけではとても解決できないことにも弟子たちは気づきました。だから弟子たちはイエスに頼らざるを得ませんでした。自分の無力を知り、へり下って神により頼む。このへり下った信仰へとイエスは弟子たちを導こうとされました。
弟子たちは二匹の魚と五つのパンをイエスに捧げました。五千人の食事には全く足りません。そんなわずかなパンを用いてイエスは五千人の人々を豊かに養い、満たしました。小さなものであっても、イエスを信じて捧げる時、それは人間の知識や計算を超えた、大きな働きをもたらすのです。イエスがメチャクチャな命令の中で伝えたかったことの二つ目がこれです。
この五千人の食事の出来事は、「神を信じて、自分にあるものを捧げる時、それが豊かに祝福され、計算を超えた大きな恵みをもたらす」ことを私たちに伝えています。
人間の通常の計算では「分けると減る」です。しかし、これを神に捧げる時、イエスに捧げる時、豊かに祝福され大きな喜びに満たされる「分けると増える」世界があるのです。そのような「分かち合い」の祝福もこの出来事は伝えています。
へり下った心で神に捧げる時、その捧げ物は豊かに祝福され、皆が(捧げた者も捧げられたなった者も与える者も受ける者も)共に豊かに与えられる世界があることをイエスは伝えたかったのです。
よく「ウイン、ウイン」という言葉が言われます。関係する両者が得をする(ウイン)ことです。これに対してイエスが五千人以上の人々を養ったこの出来事は、与えられたものを捧げることによってより豊かに与えられるという「ギブン、ギブン」の出来事ということができます。「ウイン、ウイン」の関係もよいと思います。しかし、お互いが神様の恵みによって豊かに与えられる「ギブン、ギブン」の世界はより感謝と喜びに溢れていると思います。
今日では、二匹の魚と五つのパンが五千人の人々を満腹される奇跡は文字通りでは起こらないでしょう。しかし、この出来事の本質「神を信じて、自分にあるものを捧げる時、それが豊かに祝福され、計算を超えた大きな恵みをもたらす」というメッセージは、しっかりと保たれています。そして感謝と喜び溢れる「ギブン、ギブン」の世界にイエスは私たちを招いておられるのです。
私たちも、さまざまな課題、困難があります。しかし、私たちはへり下った心で自分の持てるもの(あたえられたもの)を捧げ、それが豊かに祝福される世界、さらに豊かに与えられる世界への招きに応えていきたいと思います。
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