2023年5月21日 復活節第7主日  <いつもあなた方と共に>  牧師 木谷 誠

いつもあなた方と共に 信じる者も疑う者も「あなた方」  牧師 木谷 誠
本日は来週のペンテコステ前に、イエス・キリストの昇天を覚える礼拝です。救い主としてなすべきことを全てなし、天へと帰られたイエス・キリストをほめたたえ、来週のペンテコステに備える礼拝です。
皆さんそれぞれ好きな聖書の言葉があると思います。本日の聖書の最後の言葉「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」は私が初めて好きになった聖書の言葉です。
本日の聖書には思い出があります。子どもの頃、牧師さんから新約聖書をいただき、うれしくて読み始めたのですが、最初のマタイによる福音書の系図で挫折しました。それからも悪戦苦闘し、やっとマタイによる福音書を読み終わりました。今日の聖書の言葉「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」に辿り着いたのです。その時、子ども心に「なんだか嬉しい」と思ったことを覚えています。私の人生で最初に心に響いた聖書の言葉です。
復活のイエス・キリストは弟子たちに約束したとおり、ガリラヤの山で弟子たちと出会いました。弟子たちの中にはイエスが復活されたことを疑う者がいました。弟子たちの不信仰、頑なさ、弱さが現れています。復活のイエスを見ても信じないのです。弟子たちの中には「見ても信じない」者がいたのです。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
復活のイエスは死に打ち勝たれた方、全世界の主です。そのイエスが不信仰と弱さを持った弟子たちを大切な伝道の務めに派遣します。
弟子たちに与えられた務め、「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」は、教会の伝統の中では「大宣教命令」と言われます。なんとも大袈裟で聞き慣れない言葉です。私はあまりこういう言い方は好きではありません。これはわかりやすく言えば「イエス・キリストの教えをすべての人に広めなさい」ということです。
この務め、弟子たちにとっては、すごく重い務めです。弟子たちにとっては重すぎて、とても担うことはできません。しかも、弟子たちの中にはイエス・キリストの復活の姿を見ても信じない者、疑う者がいるのです。そんな連中にこの重い務めが担えるでしょうか。そもそもこんな弟子たちにこんな大切な務めを任せるなんて、イエス・キリストは一体何を考えているのでしょうか?
イエスは弟子たちの不信仰も弱さも全てご存じでした。その上で大切なつとめを委ねられたのです。派遣された者の責任は派遣した者が持ちます。それが「任命責任」です。弟子たちの務めの責任はイエスが持ってくださいます。そればかりか弟子たちに寄り添って指導してくださるのです。励ましてくださるのです。
イエスは弟子たちの不信仰と弱さを全てを引き受けて、助け、導いて、この務めを果たさせてくださるのです。イエスはそれほどの覚悟を持って弟子たちにこの命令をしたのでした。「私が責任を全部取る。私があなたを助ける。」と言ってくださいました。そしてその言葉の通り、弟子たちと共にいて助けてくださり、そのつとめを果たさせてくださったのです。
イエスは「いつまでも」といっています。イエスは私たちにも「私が責任を全部取る。私があなたを助ける。」と約束してくださっているのです。
私たち、それぞれに自分の十字架を背負って歩んでいきます。「自分の十字架」とは、神様に従う時に与えられる課題のことです。例えば、私なら今治教会の牧師、今治めぐみ幼稚園の園長としてのつとめです。
私も不信仰であったり、自分の弱さを思い知らされることがたくさんあります。このような大切なつとめ、とても自分の力で担うことはできません。そのような時にあって、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」というイエスの言葉が私の支えです。
私たちはイエスのこの約束の言葉に頼って良いのです。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
復活のイエスは、弟子たちの歩みを祝福されます。この「あなたがた」は弟子たちのことです。信じる者も疑う者もいました。復活のイエスはそのどちらともいつも共にいてくださると約束してくださっているのです。「あなた方」の中には「信じる者」だけでなく、「疑う者(信じない者)」も含まれているのです。
私たち、どうでしょう?「信じる者」、「疑う者」にはっきりとは分けられないのが、現実です。私たちの人生には、信じている時もあれば、信じきれないで疑ってしまう時もあるでしょう。信じている時も信じきれないで疑ってしまう時もあるでしょう。どちらの時でもイエスは共にいてくださいます。この復活のイエスの祝福の約束に感謝し、私たちもイエスから委ねられたつとめを担って歩んでまいりましょう。

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