2023年5月28日聖霊降臨節第1主日(聖霊の賜物) 心に火を灯す 見直しましょう「空気」のありがたさ

心に火を灯す 
見直しましょう「空気」のありがたさ
2023年5月28日聖霊降臨節第1主日
(聖霊の賜物)
使徒言行録第2章1-11節
牧師 木谷 誠
本日は、聖霊降臨日、ペンテコステの礼拝です。聖霊降臨日(ペンテコステ)を、教会は大切な祝いの日として大切にしてきました。その意義は何なのでしょうか?
「聖霊」は、昇天されたイエス・キリストに代わって、天から降った「神からの目に見えない力」です。
使徒言行録第2章、イエス・キリストが天に帰られた後、弟子たちの心に聖霊が降りました。聖霊は弟子たちに働いて、神様の愛を注ぎ、慰め励まし、導きました。
弟子たちは、聖霊によって励まされ、イエス・キリストこそ救い主であると信じて、人々に伝え始めました。
聖霊は弟子たち(使徒たち)と共にありました。そして聖霊はたくさんの人々の心に働きかけて、イエス・キリストを信じる人々が次第に増えたのです。いろいろの国の人たちがいろいろな国の言葉でイエスが救い主であると告白するようになりました。
そしてイエスを救い主と信じる人たちが集まって教会(信じる人たちの集まり)が誕生しました。その祝いの祭りが聖霊降臨日です。ですから聖霊降臨日は「教会の誕生日」と言うことができます。
また「ペンテコステ」という言葉は「五十番目」という意味があります。この聖霊降臨の出来事がキリストの復活の日から50日目に起こったのでそう呼ばれているのです。
聖霊はそれほど大切な働きです。しかし、わかりにくいのはなぜなのでしょうか?
その理由は、「聖霊」が「空気」と似ているからだと思います。私たちの生活では空気のありがたみを感じることはないでしょう。私たちは空気があることは当たり前だと思っています。しかし、空気がなければ、私たちは生きることができません。
聖霊もそれと似ています。空気のように当たり前にあって、私たちの信仰者としての命を支えているのです。聖霊のことがピンと来ないのは空気のありがたみがピンと来ないのと似ています。
聖霊のことを考えていて、私は歌のことを思いました。私は長いことを歌をやってきました。歌で技術的に一番難しいのことは呼吸だと思いました。みんな息を吸っています。当たり前です。息をしないと死んでしまいます。しかし、歌を歌っていると、呼吸ができていたらもっと上手に歌えるのになあ。呼吸って難しいなあと思います。
歌を歌うことにおける空気を吸うことの難しさ、奥の深さと、信仰生活における聖霊を受けて生きることの難しさ、奥の深さは似ていると思いました。
聖霊は空気のようなものです。当たり前のようにわたしたちの周りにあって、私たちは聖霊を呼吸しているのです。しかし、聖霊の生き生きとした働き、わたしたちの信仰を養い、育てる「空気」を呼吸することことは難しいのです。
この聖霊、信仰の命を養う空気を正しく吸うために大切なことは何でしょうか?まず第一に空気が与えられていることに感謝するように聖霊が与えられていることに感謝することです。
空気があることに感謝することはおかしなことでしょうか?そこから見直すことが大切です。
「ああ、空気がある。息ができる。ありがたい。生きている。生かされている。神様ありがとうございます。」と感謝すること、当たり前のことを「ありがたい」ことだと見直すことが大切ではないでしょうか?聖霊の働きを豊かにいただくことの第一歩は、空気のありがたさを見直すことから始まります。
しかし、聖霊は空気と全て同じではありません。聖霊は聖書の言葉を通して働きます。聖書の言葉は、聖霊の働きを伝えます。私たちは聖書を読み親しみ、祈ることによって、わたしたちの周りに空気のように満ちている聖霊の豊かな働きに気づくのです。そしてその聖霊によって私たちは豊かに養われ、豊かに生かされます。聖書を読み、祈ることによって、私たちは空気のようにわたしたちの周りに満ちていて、私たちの信仰の命を養う聖霊の働きを豊かにいただくことができるのです。
この聖霊は、今も生き生きと働いています。この聖霊によって、私たちは、地上のどこにいても、神様の愛を、慰めを、助けを、導きをいただくことができるのです。この聖霊によって、あたかも空気を吸って生きることができるように、私たちは豊かに生かされ、養われているのです。

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