2023年6月11日 聖霊降臨節第3主日 救われるために [「終わりは始まり 大丈夫です これから」 使徒言行録第2章37-45節

2023年6月11日 聖霊降臨節第3主日
救われるために 
終わりは始まり 大丈夫です これから
使徒言行録第2章37-45節
牧師 木谷 誠
聖書の翻訳を読み比べることは、聖書を理解するために、時として、聖書の解説書を読むよりも有効です。さまざまな翻訳を読み比べることによって、私たちは聖書の言葉をより生き生きと心に触れる言葉として味わうことができます。
今回、私を助けてくれたの聖書は、本田哲郎神父訳の聖書と、昨日いただいた聖書です。
本田哲郎神父はカトリックの神父で、大阪の釜ヶ崎でホームレスの人たちとともに生きておられます。そしてホームレスの人たちの立場に立って、この聖書を翻訳されました。
新共同訳では37節がよくわかりませんでした。「大いに心を打たれて」ってどう言うこと、どう言う感情だったんだろう?よくわかりませんでした。それで本田哲郎神父訳の聖書は、37聞いていた人たちは心を打ちのめされた。それで、ペトロのほかの派遣される者たちに「同胞の方々、私たちはどうすればいいのですか」と言った。
昨日いただいた聖書には37すると、人々はこれを聞くと、心を激しく突き刺され、後悔して、ペトロとその他の使徒たちに言った。「兄弟たちよ。我々は、一体どうすればよいのでしょうか?」
聖霊を受けて、ペトロがエルサレムの人々に、イエスが主、メシアであることを伝えました。それを聞いた人々の感情がようやくわかりました。自分たちが「十字架につけろ」といって、命を奪ってしまったあのナザレのイエスは主、メシアでした。自分達は大きな罪を犯してしまいました。人々はどうしたら良いかわからなくなって、途方に暮れ、「どうしたらよいですか」と言ったのです。
それ以前に人々はなぜ、「心を打たれた」のでしょうか?人々はあのナザレのイエスがメシア、救い主であることを信じたのです。その救い主と信じる人を殺してしまったから、人々は途方に暮れてしまったのです。
その理由は人々の心に聖霊が働いたということです。聖霊が人々の心に働きかけ、イエスが救い主であることを納得させ、信じさせたのです。イエスがメシア、救い主であると信じることは聖霊の働きによらなければ起こりません。
38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
38節は、洗礼を受けなければ、聖霊を受けられないと言っているのではありません。イエスをメシアと信じて、洗礼を受けた後は、より豊かに聖霊をいただいて歩んでいくことができるようになると言っているのです。
メシアを十字架につけて殺してしまった。大罪です。どうしたら償うことができるのか、ゆるしていただけるのか?途方に暮れてしまいます。しかし、救われる道はあります。それは悔い改めることです。自分の罪を認めて、イエスを信じ、イエスに従う生活を始めることです。自分の力だけでなんとかしようとしないで、常に聖霊の助けを祈り求めることです。悔い改めることによって、「終わり」が「始まり」になるのです。大丈夫です。これからです。
39 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」
この約束は誰にでも分け隔てなく与えられています。この約束を信じて従う歩みの中で聖霊がより豊かに私たちに与えられます。聖霊は私たちに寄り添い、わたしたちを慰め、励まし、導きます。そしてわたしたちを一つにしてくれます。
私たちの一致は、利害、血縁、人間関係によるのではありません。私たちの一致は聖霊によるのです。私たち一人ひとりがイエスをメシアと信じ、従う時、聖霊が与えられ、聖霊は私たちを一つに結び合わせてくれます。神を愛し、喜んで従い、互いに愛しい、支え合う共同体は精霊によって作られるのです。
イエスの十字架の出来事と向かい合い、自分の罪を知り、悔い改め、イエスに従って歩む中で、聖霊をいただき、皆一つになって歩んでまいりましょう。終わりが始まりとなる世界が開けます。大丈夫。これからです。

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