また本日は園児たちと共に皆様と礼拝をご一緒できますこと、本当に嬉しく思います。聖書のメッセージをご一緒に味わいましょう。
本日の聖書にはエチオピアの宦官が登場します。皆さんは、エチオピアというと何を思い浮かべますか?私のような昔の人間は、ローマオリンピック、東京オリンピック(1964年)の二回のマラソンで優勝したアベべ選手を思い浮かべます。アベベ選手はご存知ない若い皆さんでもエチオピアといえば、陸上の中距離、長距離の強い選手が沢山出ている国というイメージはあることでしょう。
そんな陸上競技のイメージが強いエチオピアですが、実は、世界最古のキリスト教国の一つなのです。キリスト教というとヨーロッパの宗教のように思えますが、実はアジア、パレスチナ、アフリカの方が古くから多くの人に信じられていました。
今日の聖書のお話は世界最古のキリスト教国のエチオピアの最初の信者のエピソードということができるでしょう。
宦官とは宮廷に仕える役人です。宦官は、去勢して男性としての機能の一部を失っていました。高い地位ではありましたが、ユダヤ教からは排除され、信者になることはできません。地位と名誉、そしてお金には恵まれていたかも知れませんが、同時に差別され、排除された存在でもありました。エルサレム神殿での礼拝が許されたのは特例であったのでしょう。
その彼がエルサレムから帰る途中、聖書を読んでいましたが、書いてある中身はさっぱりわかりません。戸惑う宦官にフィリポが出会いました。そして彼が読んでいた聖書の意味を丁寧に伝えました。
聖書は永遠のベストセラーと言われます。聖書の中にはわかりやすいところもありますが、わかりにくいところもあります。聖書は2000年前に書かれたのです。聖書の時代と私たちの時代では、文化、習慣、言葉などなど様々な違いがあります。その違いを理解し、誤解を避けて、聖書を理解するためにはガイドが必要なのです。
私は、牧師をしています。牧師の大切な勤めの一つは、聖書をわかりやすく伝え、そのメッセージを味わっていただくためのガイド役です。
エチオピアの宦官が読んでいた聖書のメッセージはイエス・キリストが全ての人を愛し、その救いのために命までも捧げられたこと、そしてそのイエス・キリストを信じる者は誰でも罪をゆるしていただき、神の子どもとして、神との愛の交わりを生きることができるという知らせを告げるものでした。
エチオピアの宦官は驚きました。つい先ほど礼拝してきたエルサレム神殿では、自分は排除され、差別されていました。しかし、今、そんな自分をも分け隔てなく愛してくださる方がおられることを知ったのです。
宦官は感激して、すぐに洗礼を受け、エチオピア最初の信者になりました。神は排除され、差別された人を真っ先にお選びになったのです。人の目(ユダヤ教の人々の目)から見たら「お呼びでない」人を神はお呼びになったのです。神様にとってお呼びでない人など一人もいないのです。そして神は今も聖書を通してわたしたちを招いておられるのです。
宦官はエチオピアに帰ってきました。その道のりは喜びに溢れた旅でした。もう「お呼びじゃない」者ではありません。神様が「お呼び」です。神様が愛してくださっています。この愛を喜び、この愛に応える歩みは喜び溢れる旅路なのです。
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