昨年度よりこの時期に教会の信仰の養いとして、何か学びたいと考えるようになりました。今年は秋まで使徒信条をお伝えします。
使徒信条は信仰告白です。信仰告白は、「信じることの中身を、神と人の前で言い表す。」ことです。さらに信仰告白は「共同の告白」と「個人の告白」に分かれます。
今回、私たちが学ぶ使徒信条は「共同の告白」に属し、その中でも最も古く、カトリック、プロテスタント共通の告白です。
この使徒信条には、キリスト教会が信じる信仰が簡潔にまとめられています。わたしたちもこの使徒信条の学びによって、キリスト教の基本、信仰の基本を学び直したいと思います。
さて、第一条は「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。」です。「我は、信ず、天地の造り主、全能の父なる神を」とした方がわかりやすいと思います。
「我は、信ず」私たちは何かを信じなければ人生を生きていくことはできません。人は何かの教え、倫理、人生観、宗教を信じ、それを支えとしてして生きているのです。
「我、信ず」、「わたしは信じる」という使徒信条の最初の言葉は私たち人間は何かを信じなければ生きていけないという大切な真理を教えてくれます。
では何を信じるか、とても大切です。間違ったものを信じると間違った方向にいってしまいます。そこでいくら努力しても、間違いが大きくなるだけです。
「我信ず 天地の造り主、全能の父なる神を」
私(私たち)が信じる神はどのような方なのか。信仰の対象は誰なのか?私たちは何を信じるのか?最も初歩的、基本的な事柄がここに記されています。
私たちが信じる神は「天地の造り主」です。この世界のあらゆるものを創造された方です。世界のあらゆるものはこの神によって造られたのです。
また創世記第1章31節には
31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。
と書いてあります。神はご自分が作った世界を見て喜び、祝福しました。この世界は神の喜びなのです。聖書が告げる神は、この世界を、この天地を造り、祝福される神なのです。
またこの神は「全能」の神です。全世界を造るということは、このような全能の神によってのみ可能でした。私たちはこの神によって「造られたもの」なのです。「造られたもの」は「造ったもの」に従うのです。
人間による環境破壊、戦争が止むことがありません。自分は「造られたもの」なのだというへり下った心が、今日とても大切です。
このように言うと一方的な奴隷のような重苦しい服従に思えますが、決してそうではありません。神は全世界を創造され、造られたもの全てを祝福されました。人は「造られたもの」として神に従う時、最も祝福されるのです。
またこの神は「父なる神」です。神を「父」と呼ぶことを伝えたのはイエス・キリストです。イエスは神を親密な感情、愛の交わりの感情を込めて「父」と呼びなさいと言われました。
その根拠は、神がまず私たち人間に対して、自分の子どもに対するかのような深く親密な愛情を持ってくださるからです。
愚かな過ちを繰り返す私たち人間に対して、神は今も「父」として私たち人間を愛してくださるのです。そしてこの神が、私たちを守り導いてくださるのです。
ところで、私の父は2001年に天に召されました。数学が苦手な私に一生懸命数学を教えてくれたことを鮮明に覚えています。
怖いけれど優しくて、謙遜な父が大好きでした。その父が召された時に思ったことは「世界一わたしを愛してくれる男の人がいなくなった」ということでした。実はその当時、幼稚園で大変なことがあって、それとも重なってなんだか訳がわからなくなりました。
その時、心に聞こえてきた言葉がありました。「もう一人いるよ。あなたの父はもう一人いるよ。忘れないで」。人間の父がいなくなっても、「天の父」がおられるのです。大きな慰めでした。それ以来、神を「父」と呼ぶことができる喜びが全く変わりました。
この使徒信条の初めの一言は、私たちを愛し、守り、導く「父なる神」がおられる喜びを伝えています。この方を信じ呼びかけ、愛の交わりのうちを歩んでまいりましょう。
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