2023年8月20日 聖霊降臨節第13主日礼拝

<すべてなし遂げて>キリストこそ、私たちを導く栄光への架け橋です!
使徒言行録 第1章6-11節 牧師 木谷 誠
使徒信条、本日は「天に昇り、全能の父なる神の右に座したまへり」についてお伝えします。
ところでイエス・キリストはどうして昇天されたのでしょうか?
キリストの昇天の出来事の大切な意義の一つ目は、父なる神の救いのご計画の中で与えられたすべての役割を果たしたイエス・キリストに感謝し、ほめたたえるということです。
私たちの社会でも委ねられた勤めを立派に果たした人には「ありがとうございました。よくやってくださいました。」と感謝し、賞賛します。それと同じです。
イエス・キリストは神の救いのご計画の中で最も大切な役割を立派に果たされました。すなわち十字架の死によって、私たちの罪を私たちに代わって償いました。そのためのご自分の命を捧げました。それが贖いです。それによって私たちに罪の赦しをもたらしました。さらに復活によって、死によってすら失われない神との永遠の愛の交わりを実現してくださいました。これが永遠のいのちです。私たちはこの恵みを感謝と賛美をもって受け取るのです。
キリストの昇天の大切な意義の二つ目は、やがて私たちにも分かち与えられる栄光が示されたということです。
遠い昔、ヤコブに天の階段が示されました。創世記28章10節から12節です。
その時、ヤコブはハランで眠り、夢で幻を見ました。それは地上から天まで届く、階段(はしご)があり、それを天使が昇り降りしている風景でした。
ヤコブは兄を欺き、惨めな思いで故郷を追われました。これから一体どうやって生きていけば良いのか?そのようなヤコブに対して、神は天に届く階段の幻を見せて、神が共におられること、希望があることを示されたのでした。
このヤコブの階段の幻とイエス・キリストの昇天とは繋がるメッセージがあります。苦難の旅路を歩むヤコブに対して、神は希望を示されました。今は苦しくても、栄光のゴールが約束されているという希望を与えてくれてました。
同じようにキリストの昇天の出来事は、私たちがやがていくことができる天の故郷があることを示しています。
キリストはそこに私たちの場所を用意してくださっているのです。
イエス・キリストは天に昇り、私たちに栄光に満ちた住まいを用意してくださっています。そしてそこにやがて私たちを迎え入れてくださいます。そのような素晴らしいゴールが約束されています。イエス・キリストの昇天の出来事は、そのような希望を私たちに与えてくれるのです。
キリストの昇天の大切な意義の三つ目は、全ては成し遂げられていて、あとは仕上がりを待つだけということです。たとえばピザパイのように、しっかりとした下地に美味しいチーズとトッピングがなされ、窯に入れられて焼き上がるのを待つばかりの状態とでも言いましょうか。イエス・キリストはすべての必要なことを成し遂げてくださいました。何一つ不足はありません。後は仕上がりを待つだけなのです。
私たちの人生、また私たち人類の歴史には色々なことがあります。嬉しいこともありますが、困ったこともたくさんあります。しかし、キリストは昇天されました。栄光を実現してくださいました。それは私たちにも約束されています。完成は約束されています。
ヨハネによる福井書第16章33節に「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と書いてあります通りなのです。
とイエス・キリストが言われた通りなのです。キリストの昇天はそのように私たちに希望をもたらしてくれる出来事なのです。
先ほど、ヤコブの階段についてお話ししましたが、イエス・キリストはまさしくヤコブの階段(はしご)となられ、私たちを天の父なる神の元へと、真の天の故郷へと導いてくださいます。イエス・キリストこそ、私たちを導く栄光の架橋となってくださいました。それがイエス・キリストの召天の出来事に示されているのです。
キリストの昇天において、約束されている栄光を確信し、希望を持って、神様に感謝し、褒め称える歩みをなしてまいりましょう。

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