<平和に暮らしなさい> 善をもって悪に勝つ、一体どうしたら? 牧師 木谷 誠
本日は、日本キリスト教団平和聖日です。日本にとって8月は特別な意味があります。太平洋戦争の中で、1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が落とされました。同年8月15日には無条件降伏、敗戦となりました。
また、今治市は8月5日から6日にかけて3回目の空襲があり、約340名の尊い命が失われ、今治市は壊滅状態となりました。体験者のお話では、空襲の過ぎた朝に広島の方がピカッと光るのをみたのだそうです。それは広島に落とされた原爆の閃光でした。
そのような意味で今年の8月、改めて戦争の悲惨さを思い起こし、二度とこのような過ちを犯さないように平和への思いを新たにしたいと思います。
その平和聖日に与えられた聖書はローマの信徒への手紙第12章です。使徒パウロはこれとよく似た内容、愛と平和について、コリントの手紙一第13章、フィリピの信徒への手紙第二章でも書いています。
ここに書かれた内容についておそらくほとんどの人は反対しないと思います。このように愛の生き方をみんなが身につけたら、戦争などすぐになくなるでしょう。しかし、残念なことにこの手紙が書かれてから約2000年の月日が経っています。今も戦争は続いています。多くの人たちの尊い命が失われています。正しいこととわかっていてもできない。それが人間の現実です。ではどうしたら良いのでしょうか?
ここに書かれていることをただの立派な言葉として受け止めるのではなく、私たちが見習うべき模範として受け止めなればなりません。どうしたら良いのでしょうか?
聖書において、「悪」とは「神様が喜ばれないこと」です。「善」とは「神様が喜ばれること」です。善をもって悪に勝ちなさい。互いに愛し、尊敬し、怠らず、主に仕え、貧し異人を支え、決して報復せず、泣く人と共に泣き、喜ぶものと共に喜ぶ。それらは全てイエス・キリストの生き様のうちに最高の模範があります。
エフェソの信徒への手紙第5章1節にはこう書いてあります。
1あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。
ここでの「神」はイエス・キリストを示しています。キリストは私たちの「模範」です。「別格」ではありません。「模範」ですから、私たちはそれに倣うことが可能なのです。ではそれはどのようしたら可能なのでしょうか。
その鍵は11節の「霊に燃えて」という言葉にあります。先に述べたようなキリストの模範に倣う生き方は自分の力だけで達成できるものではありません。もしかしたら一時的に短い間なら少しは可能かもしれません。しかし。長続きしません。キリストの模範に習い、少しでも成長していくことを可能にするのは「霊に燃える」ことです。すなわち、聖霊の導きを受け入れて、聖霊によって育てていただくことです。
聖霊というとなんだかつかみどころがなくて、わかりにくい言葉だと思います。
聖霊とは「神様からの目に見えない力」です。聖書を読み、祈る中で(まだお祈りができない方は、心を静かにして目を閉じて、聖書の言葉を思い巡らせてください。)精霊は私たちの心に入ってきます。この聖霊によって、私たちは神様の愛をいただきます。まさしくエフェソの信徒への手紙第5章1節前半の「あなた方は神に愛されている子どもですから」という言葉を実感でき、喜びで満たされるのです。
この目に見えない力をいただいて、この目に見えない力によって育てられていく中で、私たちはキリストを模範としてそれに倣う生き方が可能となります。真の愛を少しずつ身につけることができるのです。平和を実現するために私たちはまず聖霊の力を常に祈り求めましょう。そして聖霊によって神様の愛をいただいて、愛の喜びで満たしていただきましょう。その時、私たちは互いに愛し合い、平和に暮らす術を少しずつ身につけることができるのです。
この記事へのコメント