2023年10月15日 聖霊降臨節第21主日・信徒伝道週間・信徒教育週間(審きの日)<永遠の命 永遠の喜び> 牧師 木谷 誠 ―ここに書かれてあること、全部本当ですー
ヨハネの黙示録 第21章3-4節
使徒信条をお伝えしています。いよいよ最後となりました。本日は「永遠の命」についてお伝えします。
「永遠の命」とは、古今東西、最大の憧れ、最も欲しいものの一つでありました。人類最初の文学と言われるメソポタミアのギルガメッシュ叙事詩は、英雄ギルガメッシュが永遠の命を求める旅の物語です。また中国全土を統一し、強大な権力を持った最初の皇帝、始皇帝は何にも増して「不老不死(老いない、死なない)」、永遠の命を求めました。永遠の命と言いますとそのような「不老不死」に近いイメージを私たちは持ってしまいます。
しかし、聖書が伝え、使徒信条で告白されている永遠の命はそのようなものではありません。私たち人間に聖書が約束している永遠の命は「不老不死」ではないのです。永遠の命を約束されている私たちは、老います、そして死んでいきます。そのような私たちに約束されている永遠の命とは一体どのようなものなのでしょうか?
使徒信条で約束されている永遠の命は、「永遠の愛の交わり」ということができます。元々命は「交わり」です。私たちの命のしるしである「息」、「呼吸」もこの世界に満ち満ちる空気の中で酸素を受け入れ、二酸化炭素を出すという交わりです。私たちが生きているということは、どのような形であれ、何らかの交わりをこの世界と人と持っているということです。
この交わりが断たれることは「死」を意味します。イエス・キリストの十字架の贖いによって、私たちの罪が赦され、私たちは神との愛の交わりに生きる「神の子」とされました。この愛の交わりは死によってすら失われず、永遠に続きます。この「永遠の愛の交わり」が「永遠の命」なのです。
ですから、聖書が告げ、使徒信条が告白する永遠の命は、世の終わりの日に完全に実現する未来の希望であると同時に、この生きている今、豊かに味わうことのできる喜びなのです。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
この言葉は、今、実現しています。神は今、まさしく私たちと共にいて、永遠の愛の交わりを持ってくださるのです。
私たちの人生の歩みに、聖霊を通して、イエス・キリストが寄り添ってくださいます。また多くの仲間との出会いと交わりが与えられます。この交わりをいただきながら、歩むことのできる今、それがすでに永遠の命を与えられていることなのです。使徒信条はこのような大きな喜びを宣言しているのです。
「アーメン」。使徒信条はこの言葉で締め括られます。何事においても、終わりの一言はとても大切です。終わりの一言に、それまでの全てがかかってきます。「アーメン」、それはわかりやすく言えば、「これまでのことはすべて本当です。」ということです。使徒信条、2000年近く教会が信じて、言い表してきたこの信仰告白に書かれてあることは、「全て本当です。」「全て真実」です。信頼に足る言葉です。
この使徒信条は私たちに大きな恵みを伝え、感謝と喜びを与えてくれます。繰り返し、味わい、噛み締め、大切に告白して参りましょう。
この記事へのコメント