2024年5月5日復活節第6主日礼拝(キリストの勝利)<勇気を出しなさい>  牧師 木谷  誠


ヨハネによる福音書第第16章25-33節
今、私たちの教会の暦は、復活から昇天、そして聖霊降臨へと向かっています。十字架の死と復活の後、イエスは天に昇り(天に帰り)ます。いよいよイエスとのお別れの時が近づいているのです。
イエスが去って行かれた後、弟子たちは、使徒(主の復活の証人)としてイエス・キリストを伝える働きを担って行かなければなりません。それはとても大きな苦難の道のりです。そのような弟子たちに対してイエスは「勇気を出しなさい」と言って励まします。このイエスの励ましの根拠は何なのでしょうか?
それはイエス・キリストの復活です。イエス・キリストは弟子たちがこれから受けなければならない苦難を、弟子たちよりも先に受けました。それが十字の苦しみと死でした。イエスは神から委ねられた使命を担ってそれを担いました。そしてイエスは十字架の死から三日目に復活されたのでした。この復活は、人間の罪と死に対する勝利でした。
復活によってイエスが実現した勝利とは、罪と憎しみ、妬みに対する神の愛の勝利です。
イエスの勝利は復讐でもなければ、報復でもありません。イエスは弟子たちにあった時何と言ったでしょうか。
イエスの言葉は、「おはよう、あなた方に平安があるように」でした。
復活のイエスがもしもユダに会ったらイエスは何と言ったでしょうか。同じだと思います。
さらに、みなさん、復活のイエスが祭司長、律法学者たちに会ったら、イエスは何と言ったでしょうか?これも私の想像ですが、きっと復活のイエスは祭司長や律法学者にたいしても
「おはよう、あなた方に平安があるように」と言ったと私は思います。
「私はすでに世に勝っている。」ここでイエスが語られる勝利は復讐でも報復でもありません。その勝利は、罪を赦し、死を超えた永遠の命、永遠の愛の交わりをもたらすという勝利なのです。イエスが復活によって実現した勝利が私たちに真の喜びをもたらすのは、その勝利が愛の勝利だったからです。
しかし、弱虫の私はそれでもやっぱり不安、無理です。もう一つ足りないことがありました。それは、「イエスが勝利してゴールにいても、私はどうやってそこまでいくのだろうか」ということです。
確かにゴールには勝利を実現したイエス・キリストが立っています。しかし、そこに着くまでの道が険しすぎたら私にはとても無理です。
イエス・キリストは神様ですから、勝利できる。しかし、私たちはただの人間です。弱さも欠点もあって、結構まだまだ罪深くて・・・罪と死に対する愛の勝利だってイエス・キリストだからできたことでしかありません。
ここで忘れてはいけないことがあります。それは弁護者なる聖霊の存在です。
イエス・キリストが昇天された後、イエス・キリストに変わって天から降ってくる神の目に見えない働きが聖霊です。この聖霊が私たちの中に住んで、私たちに寄り添って私たちに心に神の愛を注いでくださいます。聖霊は私たちに知恵と力と元気を与えてくださるのです。
聖霊の助けによって、私たちは、励まされたり、慰められたり、導いていただいたりしています。私にしてみれば、毎週聖書のメッセージが与えられることは聖霊の助けです。それから出会いが与えられます。仲間が与えられます。それも全部聖霊の働きのおかげです。
聖霊なる神が私に寄り添って、仲間がいることに気づかせてくださったのでした。
ゴールにイエスがいます。そばには聖霊がいます。この二つが揃ったら安心です。
私たちはほったらかしにされてはいません。誰かがそばにいて倒れたら起こしてくれる。そばで手を繋いでくれる。背中を押してくれる。起こしてくれる仲間、見ていてくれる仲間、手伝ってくれる仲間がいる。そしてその仲間に気づかせてくれる。それが弁護者たる聖霊の働きです。ゴールにはイエス。そばには聖霊。だから大丈夫なのです。勇気を出しましょう。

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