2024年6月9日 聖霊降臨節第4主日礼拝 (信仰の道)

<義人は信仰によって生きる> 牧師 木谷 誠
ハバクク書 第2章1-4節
今治教会の礼拝で朗読される聖書は日本基督教団の教会の暦(こよみ)に沿って選ばれています。旧約聖書から二つ、使徒書(使徒言行録、手紙、黙示録)、福音書です。その四つの中からこの聖霊降臨節の時期は、使徒書が主要日課として選ばれています。
しかし、今日はあえて旧約聖書からハバクク書を選ばせていただきました。個人的な好みで申し訳ありません。私はこのハバクク書が大好きなのです。好きで好きでしょうがないくらい好きなのです。
これに対して、「正しい者は信仰によって生きる」という言葉の引用元であるハバクク書は、パウロとは違った動機、問題意識でこの言葉を書き記したのです。
ハバククの時代、イスラエル(南ユダ王国)は、新バビロニア王国の脅威に晒されていました。大国の圧倒的な力の前に、イスラエル(南ユダ王国)は風前の灯でした。あの残酷な新バビロニア王国によって、イスラエル(南ユダ王国)は滅ぼされようとしている。それなのに神はまだ何もしてくださらない。神は一体何をしておられるのだろうか?激動の歴史の中で、そのような危機感、問いを持ちながら、ハバククはひたすら祈っていたのでしょう。そのようなハバククに対して神が与えた言葉が本日の聖書なのでした。
ハバクク書は、激動の歴史の中で、国が滅びてしまう危機の中で書かれました。預言者ハバククは、そのような危機の中で必死に祈ってこの言葉を与えられたのです。
3 定められた時のために もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。
「危機の中でも、神は生きて働いておられる。神は決して約束を破る方ではない。だから信じて待ちなさい。」とハバククは呼びかけます。
人の期待と神の考えとは必ずしも一致しません。信仰とは神の時を優先すること、神の時を待つことです。
しかし、神には神のお考えがあるのです。もちろん早い方が良いでしょう。自分の都合に合わせてもらえた方が良いでしょう。しかし、そうはいかない時であっても、神を信頼して待っていなさい。とハバククは呼びかけるのです。
4 見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
ハバククは、歴史の危機の中で、神に信頼して生きることの大切さを訴えます。ここでの「信仰」とは、「神の真実(信実)」のことです。人間の信頼のことである前に、その信頼を決して裏切ることのない神の真実(信実)があるからこそ、人がそれに信頼できるのです。
神に従う人は、自分の忍耐で生きるのではない。神の真実(信実)によって生きるのだとハバククは私たちに教えてくれます。正しい人は神の真実(信実)によって生きるのです。たとえ、自分の思うような時でなくても、神の定めた時があります。神は決して約束を破りません。
私は「ブルーモーメント」というテレビドラマを毎週楽しみに観ています。災害救助がテーマです。いつも教えられることは、「あきらめない」ことの大切さです。強くなくても良い。あきらめない。助かる希望を捨ててはいけない。絶対に諦めないから。というメッセージに心を打たれます。そして私はこのテレビドラマを見ていて、今日のハバクク書とつながるものがあると思いました。
私たちも危機の時代を生きています。私たちの時代にも不安があります。環境問題、終わりの見えない戦争、日本が戦場になるのではないか。日本の社会を見ても、出生率の低下、人口減少、働く人がいなくなっていくことはとても不安です。教会を見ても、後継者問題は深刻です。このままでは教会も消滅してしまうのではないか。そんな不安があります。しかし、預言者ハバククは私たちに呼びかけます。
たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。
神は決して諦めてはいません。必ず私たちを救い、導いてくださいます。希望を捨ててはいけません。諦めるということは希望を捨てることです。救いは必ず来ます。神は決して約束を破りません。神が定められた時に最も良いことをしてくださいます。神は真実な方なのです。
この神の真実に信頼して歩んでいきましょう。それが神に従う者のあるべき姿なのです。

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