主の祈り
2022年6月19日 聖霊降臨節第3主日・(伝道する教会)
マタイによる福音書 第6章5-9a節
牧師 木谷 誠
今回より「主の祈り」のメッセージを少しずつ皆様と分かち合って参りたいと思います。
前任の幼稚園では、各学年で主の祈りを教えていました。三歳児の礼拝では、こんな感じでお話ししました。
「今日のお話は短いよ。あっという間に終わるからね。だからしっかり聞いてね。主の祈りを教えてくれたのはね。イエス様なんですよ。はい、おしまい。」
とても短いお話しです。しかし、主の祈りを教えてくれたのはイエス・キリストであるということは、主の祈りの大切な要素です。聖書の中イエス・キリストが捧げた祈りはいくつかありますが、私たちのためにイエス・キリストがわざわざ教えてくださった祈りはこれただ一つなのです。ですから、主の祈りは教会の最も大切な「宝物」の一つであるということができます。また、主の祈りは、祈りでありながら、私たちの信仰の大切な要点を教えてくれます。
第一の点は、祈りは「隠れたところにおられるあなたの父に」向かって祈るということです。「隠れたところ」とは「目に見えない」ということを意味しています。私たちには「目に見えない父」がおられるということです。そしてこの方はまさしく「父」として、私たちの祈り、私たちの呼びかけに深い愛情を持って耳を傾けてくださいます。このような祈りは私たちに大きな慰めと安らぎをもたらします。
第二の点は「隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」ということです。神様は全てをご存じです。親が子どもの願いを聞いて、よく考えてその子どもにとって一番良いことをしようとするように、神様は「父」として私たちの祈りの呼びかけを聞いていてくださり、最も良いことをもって応えてくださいます。
第三の点は、「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」ということです。だったら祈る必要がないのではないかと、実は私も思いました。そうではありません。親であれば、可愛い子どもの話であれば、どんなことでも、わかっていることでも、同じことの繰り返しでも、喜んで聴くように、神様は「父」として、愛する「子」である私たちの祈りは、内容が分かりきっていたとしても喜んで聴いてくださるという意味なのです。それくらい神様は「父」として私たちを愛してくださっているということがこの言葉に込められています。
第四は「だからこう祈りなさい」です。イエス・キリストが、私たちのためにこの祈りを考えてくださいました。この祈りは、イエス・キリストから私たちに送られた愛のこもった贈り物なのです。とても嬉しいことではないでしょうか。素敵な贈り物をいただいたら、心から感謝し、それを大切にします。私たちもこの主の祈りをくださったイエス・キリストに心から感謝し、大切にしたいと思います。その時、この「贈り物」は私たちに大きな祝福をもたらしてくれるのです。
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