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<title>日本キリスト教団今治教会　説教要旨</title>
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<description>日本キリスト教団今治教会での説教要旨を記載しています。毎週更新していきますので、ふとしたときにでも覗きに来ていただければ嬉しいです。</description>
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<title>4月20日　大紙飛行機大会！</title>
<description>こんにちは。お元気ですか？もうすぐ、ゴールデンウィークですね。どんな楽しい予定がありますか?今度教えて下さいね。今週の礼拝は、白石先生が、お話をしてくださいました。分級も白石先生が、楽しい事をしてくださいました。まずは、紙飛行機作り。見本を見ながら、また先生に教えてもらいながら、工夫しながら作りました。「大紙飛行機大会」をしました。まっすぐ、カーブしながら、残念ながらすぐ落ちたり…。いろいろでしたが、ガリラヤ館の廊下では足りずに、礼拝堂とガリラヤ館の間の外でも、飛ばしました。..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2025-04-26T12:47:19+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
こんにちは。<br />お元気ですか？<br />もうすぐ、ゴールデンウィークですね。どんな楽しい予定がありますか?今度教えて下さいね。<br />今週の礼拝は、白石先生が、お話をしてくださいました。<br /><a href="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485179016.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="1745485179016.jpg" src="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485179016-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" onclick="location.href = 'https://imabari-cha.seesaa.net/upload/detail/image/1745485179016-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />分級も白石先生が、楽しい事をしてくださいました。<br />まずは、紙飛行機作り。見本を見ながら、また先生に教えてもらいながら、<br />工夫しながら作りました。<br /><a href="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485302679.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="1745485302679.jpg" src="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485302679-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" onclick="location.href = 'https://imabari-cha.seesaa.net/upload/detail/image/1745485302679-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><a href="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485226595.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="1745485226595.jpg" src="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485226595-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" onclick="location.href = 'https://imabari-cha.seesaa.net/upload/detail/image/1745485226595-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />「大紙飛行機大会」をしました。<br /><a href="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485269962.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="1745485269962.jpg" src="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485269962-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" onclick="location.href = 'https://imabari-cha.seesaa.net/upload/detail/image/1745485269962-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><a href="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485286855.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="1745485286855.jpg" src="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1745485286855-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" onclick="location.href = 'https://imabari-cha.seesaa.net/upload/detail/image/1745485286855-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />まっすぐ、カーブしながら、残念ながらすぐ落ちたり…。いろいろでしたが、<br />ガリラヤ館の廊下では足りずに、礼拝堂とガリラヤ館の間の外でも、飛ばしました。<br />(実は、通路の屋根や自転車置き場の屋根に着陸した飛行機も…。)<br /><br />その後は、「色集め」もしました。たくさん思いつきました。<br />さて来週は、木谷牧師が、お話をしてくださいます。<br />分級は、新しいガードゲームを予定しています。<br />お楽しみに。<br />お待ちしています!<a name="more"></a>

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<title>2024年6月9日 聖霊降臨節第4主日礼拝 （信仰の道）</title>
<description>＜義人は信仰によって生きる＞ 牧師 木谷 誠ハバクク書 第2章1-4節今治教会の礼拝で朗読される聖書は日本基督教団の教会の暦（こよみ）に沿って選ばれています。旧約聖書から二つ、使徒書（使徒言行録、手紙、黙示録）、福音書です。その四つの中からこの聖霊降臨節の時期は、使徒書が主要日課として選ばれています。しかし、今日はあえて旧約聖書からハバクク書を選ばせていただきました。個人的な好みで申し訳ありません。私はこのハバクク書が大好きなのです。好きで好きでしょうがないくらい好きなのです..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-06-12T16:39:38+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
＜義人は信仰によって生きる＞ 牧師 木谷 誠<br />ハバクク書 第2章1-4節<br />今治教会の礼拝で朗読される聖書は日本基督教団の教会の暦（こよみ）に沿って選ばれています。旧約聖書から二つ、使徒書（使徒言行録、手紙、黙示録）、福音書です。その四つの中からこの聖霊降臨節の時期は、使徒書が主要日課として選ばれています。<br />しかし、今日はあえて旧約聖書からハバクク書を選ばせていただきました。個人的な好みで申し訳ありません。私はこのハバクク書が大好きなのです。好きで好きでしょうがないくらい好きなのです。<br />これに対して、「正しい者は信仰によって生きる」という言葉の引用元であるハバクク書は、パウロとは違った動機、問題意識でこの言葉を書き記したのです。<br />ハバククの時代、イスラエル（南ユダ王国）は、新バビロニア王国の脅威に晒されていました。大国の圧倒的な力の前に、イスラエル（南ユダ王国）は風前の灯でした。あの残酷な新バビロニア王国によって、イスラエル（南ユダ王国）は滅ぼされようとしている。それなのに神はまだ何もしてくださらない。神は一体何をしておられるのだろうか？激動の歴史の中で、そのような危機感、問いを持ちながら、ハバククはひたすら祈っていたのでしょう。そのようなハバククに対して神が与えた言葉が本日の聖書なのでした。<br />ハバクク書は、激動の歴史の中で、国が滅びてしまう危機の中で書かれました。預言者ハバククは、そのような危機の中で必死に祈ってこの言葉を与えられたのです。<br />3 定められた時のために　もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。<br />「危機の中でも、神は生きて働いておられる。神は決して約束を破る方ではない。だから信じて待ちなさい。」とハバククは呼びかけます。<br />人の期待と神の考えとは必ずしも一致しません。信仰とは神の時を優先すること、神の時を待つことです。<br />しかし、神には神のお考えがあるのです。もちろん早い方が良いでしょう。自分の都合に合わせてもらえた方が良いでしょう。しかし、そうはいかない時であっても、神を信頼して待っていなさい。とハバククは呼びかけるのです。<br />4 見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」<br />ハバククは、歴史の危機の中で、神に信頼して生きることの大切さを訴えます。ここでの「信仰」とは、「神の真実（信実）」のことです。人間の信頼のことである前に、その信頼を決して裏切ることのない神の真実（信実）があるからこそ、人がそれに信頼できるのです。<br />神に従う人は、自分の忍耐で生きるのではない。神の真実（信実）によって生きるのだとハバククは私たちに教えてくれます。正しい人は神の真実（信実）によって生きるのです。たとえ、自分の思うような時でなくても、神の定めた時があります。神は決して約束を破りません。<br />私は「ブルーモーメント」というテレビドラマを毎週楽しみに観ています。災害救助がテーマです。いつも教えられることは、「あきらめない」ことの大切さです。強くなくても良い。あきらめない。助かる希望を捨ててはいけない。絶対に諦めないから。というメッセージに心を打たれます。そして私はこのテレビドラマを見ていて、今日のハバクク書とつながるものがあると思いました。<br />私たちも危機の時代を生きています。私たちの時代にも不安があります。環境問題、終わりの見えない戦争、日本が戦場になるのではないか。日本の社会を見ても、出生率の低下、人口減少、働く人がいなくなっていくことはとても不安です。教会を見ても、後継者問題は深刻です。このままでは教会も消滅してしまうのではないか。そんな不安があります。しかし、預言者ハバククは私たちに呼びかけます。<br />たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。<br />神は決して諦めてはいません。必ず私たちを救い、導いてくださいます。希望を捨ててはいけません。諦めるということは希望を捨てることです。救いは必ず来ます。神は決して約束を破りません。神が定められた時に最も良いことをしてくださいます。神は真実な方なのです。<br />この神の真実に信頼して歩んでいきましょう。それが神に従う者のあるべき姿なのです。<br /><a name="more"></a>

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<title>2024年5月12日復活節第7主日礼拝（キリストの昇天)＜渇いている人は､誰でも私のところに来なさい＞牧師　木谷　 誠</title>
<description>本日は、イエス・キリストの昇天を記念する礼拝です。イエス・キリストは救い主として、私たちの罪が神にゆるされるために十字架にかかり、私たちに変わって罪を償われました。これが罪の贖いです。そしてイエスは十字架の死から三日目に復活されました。イエスは死に打ち勝ち、新しい永遠の命、永遠の愛の交わりを実現し、人々を招いています。そのようにしてイエスは神から与えられた使命を果たして、天へと昇っていかれます。これがキリストの「昇天」です。神から委ねられた使命を果たして、私たちの罪の赦しと神..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-05-17T13:03:22+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
<br />本日は、イエス・キリストの昇天を記念する礼拝です。イエス・キリストは救い主として、私たちの罪が神にゆるされるために十字架にかかり、私たちに変わって罪を償われました。これが罪の贖いです。そしてイエスは十字架の死から三日目に復活されました。イエスは死に打ち勝ち、新しい永遠の命、永遠の愛の交わりを実現し、人々を招いています。そのようにしてイエスは神から与えられた使命を果たして、天へと昇っていかれます。これがキリストの「昇天」です。神から委ねられた使命を果たして、私たちの罪の赦しと神との永遠の愛の交わり、すなわち救いを実現してくださったイエス・キリストに心から感謝し褒め称えたいと思います。<br />しかし、イエスが天に昇っていかれるということは、弟子たちにとっては、イエスとの別れを意味します。それは弟子たちにとっては、とても心細いことでした。<br />そこでイエスはご自身に変わって、「弁護者」としての霊、すなわち聖霊が降って弟子たちを守り支え、導くという約束を与えられました。この聖霊はここでは「水」にたとえられています。水は私たちの命を養う上で決して欠くことのできないものです。それと同じように、聖霊も私たちの霊的命（神との交わり）を維持する上で決して欠くことができないものなのです。この聖霊を「飲む」ということはいったいどういうことでしょうか？<br />それはイエスを神から派遣された救い主と信じるということです。そしてイエスの言葉を神の言葉として信じることです。その神の言葉は聖書に書いてあります。この言葉を信じて受け入れる行為が「飲む」という言葉で表現されています。<br />先週の子どもの教会の礼拝で、聖書の言葉を信じることについて、「食べ物はお口からお腹に入ります。神様のお恵みは、聖書の言葉です。それは目と耳から心に入ります」とお話ししました。私たちが聖書の言葉を信じて受け入れる時、聖霊が私たちのうちに入ってきます。そして私たちを喜びと感謝で満たすのです。聖書の言葉を信じることはイエスを信じることと同じです。聖書はイエス・キリストを証ししているからです。その時、聖霊が私たちの心に豊かに働いていることに気づきます。そして私たちを喜びと感謝で満たします。さらにそれは川の流れのように豊かに周りの人にも伝えられていくのです。この「水」、聖霊によって与えられる神の恵みは決して尽きることがありません。ヨハネによる福音書第4章14節にはこう書いてあります。<br />13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」<br />イエスを信じることによって与えられる「水」、聖霊によって与えられる恵みを喜びと感謝をもって受け取り、それを溢れさせて、多くの人々と分かち合いながら歩んでまいりましょう。<br /><a name="more"></a>

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<title>2024年5月5日復活節第6主日礼拝（キリストの勝利)＜勇気を出しなさい＞ 　牧師　木谷　 誠</title>
<description>ヨハネによる福音書第第16章25-33節今、私たちの教会の暦は、復活から昇天、そして聖霊降臨へと向かっています。十字架の死と復活の後、イエスは天に昇り（天に帰り）ます。いよいよイエスとのお別れの時が近づいているのです。イエスが去って行かれた後、弟子たちは、使徒（主の復活の証人）としてイエス・キリストを伝える働きを担って行かなければなりません。それはとても大きな苦難の道のりです。そのような弟子たちに対してイエスは「勇気を出しなさい」と言って励まします。このイエスの励ましの根拠は..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-05-17T13:01:36+09:00</dc:date>
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<br />ヨハネによる福音書第第16章25-33節<br />今、私たちの教会の暦は、復活から昇天、そして聖霊降臨へと向かっています。十字架の死と復活の後、イエスは天に昇り（天に帰り）ます。いよいよイエスとのお別れの時が近づいているのです。<br />イエスが去って行かれた後、弟子たちは、使徒（主の復活の証人）としてイエス・キリストを伝える働きを担って行かなければなりません。それはとても大きな苦難の道のりです。そのような弟子たちに対してイエスは「勇気を出しなさい」と言って励まします。このイエスの励ましの根拠は何なのでしょうか？<br />それはイエス・キリストの復活です。イエス・キリストは弟子たちがこれから受けなければならない苦難を、弟子たちよりも先に受けました。それが十字の苦しみと死でした。イエスは神から委ねられた使命を担ってそれを担いました。そしてイエスは十字架の死から三日目に復活されたのでした。この復活は、人間の罪と死に対する勝利でした。<br />復活によってイエスが実現した勝利とは、罪と憎しみ、妬みに対する神の愛の勝利です。<br />イエスの勝利は復讐でもなければ、報復でもありません。イエスは弟子たちにあった時何と言ったでしょうか。<br />イエスの言葉は、「おはよう、あなた方に平安があるように」でした。<br />復活のイエスがもしもユダに会ったらイエスは何と言ったでしょうか。同じだと思います。<br />さらに、みなさん、復活のイエスが祭司長、律法学者たちに会ったら、イエスは何と言ったでしょうか？これも私の想像ですが、きっと復活のイエスは祭司長や律法学者にたいしても<br />「おはよう、あなた方に平安があるように」と言ったと私は思います。<br />「私はすでに世に勝っている。」ここでイエスが語られる勝利は復讐でも報復でもありません。その勝利は、罪を赦し、死を超えた永遠の命、永遠の愛の交わりをもたらすという勝利なのです。イエスが復活によって実現した勝利が私たちに真の喜びをもたらすのは、その勝利が愛の勝利だったからです。<br />しかし、弱虫の私はそれでもやっぱり不安、無理です。もう一つ足りないことがありました。それは、「イエスが勝利してゴールにいても、私はどうやってそこまでいくのだろうか」ということです。<br />確かにゴールには勝利を実現したイエス・キリストが立っています。しかし、そこに着くまでの道が険しすぎたら私にはとても無理です。<br />イエス・キリストは神様ですから、勝利できる。しかし、私たちはただの人間です。弱さも欠点もあって、結構まだまだ罪深くて・・・罪と死に対する愛の勝利だってイエス・キリストだからできたことでしかありません。<br />ここで忘れてはいけないことがあります。それは弁護者なる聖霊の存在です。<br />イエス・キリストが昇天された後、イエス・キリストに変わって天から降ってくる神の目に見えない働きが聖霊です。この聖霊が私たちの中に住んで、私たちに寄り添って私たちに心に神の愛を注いでくださいます。聖霊は私たちに知恵と力と元気を与えてくださるのです。<br />聖霊の助けによって、私たちは、励まされたり、慰められたり、導いていただいたりしています。私にしてみれば、毎週聖書のメッセージが与えられることは聖霊の助けです。それから出会いが与えられます。仲間が与えられます。それも全部聖霊の働きのおかげです。<br />聖霊なる神が私に寄り添って、仲間がいることに気づかせてくださったのでした。<br />ゴールにイエスがいます。そばには聖霊がいます。この二つが揃ったら安心です。<br />私たちはほったらかしにされてはいません。誰かがそばにいて倒れたら起こしてくれる。そばで手を繋いでくれる。背中を押してくれる。起こしてくれる仲間、見ていてくれる仲間、手伝ってくれる仲間がいる。そしてその仲間に気づかせてくれる。それが弁護者たる聖霊の働きです。ゴールにはイエス。そばには聖霊。だから大丈夫なのです。勇気を出しましょう。<br /><a name="more"></a>

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<title>2024年4月28日復活節第5主日礼拝（聖霊の実)＜弁護者なる聖霊＞ 　牧師　木谷　 誠</title>
<description>ヨハネによる福音書第15章18-27節　   　　　　　本日の聖書を読んでいまして、私は今治教会の創立期のことを思い出しました。今治教会創立の年、明治12年は、キリシタン禁制の高札が撤回されてからまだ僅か6年しか経っていませんでした。そのような厳しい時代の中で、当時の人々、私たちの先輩たちは決断して、洗礼を受けたのでした。その人たちの覚悟は並大抵のものではなかったことでしょう。それは今治教会に限ったことではなく、明治時代の教会には似たようなエピソードがたくさんありました。厳し..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-05-17T13:00:16+09:00</dc:date>
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<br />ヨハネによる福音書第15章18-27節　   　　　　　<br />本日の聖書を読んでいまして、私は今治教会の創立期のことを思い出しました。今治教会創立の年、明治12年は、キリシタン禁制の高札が撤回されてからまだ僅か6年しか経っていませんでした。そのような厳しい時代の中で、当時の人々、私たちの先輩たちは決断して、洗礼を受けたのでした。その人たちの覚悟は並大抵のものではなかったことでしょう。<br />それは今治教会に限ったことではなく、明治時代の教会には似たようなエピソードがたくさんありました。厳しい迫害もありました。伊予小松教会はより厳しい迫害を受けたと聞いております。<br />初代教会の人々が受けた迫害はもっと凄まじいものであったことが歴史の資料を読むとわかります。初代教会の人々は、そして明治期のキリスト者たちは、いったいどうやって、そんな迫害を乗り越えていくことができたのでしょうか。<br />明治時代の人はとても強い人たちだったからでしょうか。確かに今の平和な時代に生きる私たちよりもはるかに困難な時代でしょうから、とても強い人たちだったことでしょう。でもそれが迫害を乗り越えて信仰を守った理由でしょうか。私にはどうしてもそうは思えません。イエスが強い人と共にある神ならば、それは聖書に書かれてあるイエスの姿と矛盾するように思えます。<br />彼らが迫害や困難を乗り越えて、信仰を全うできたのは、彼らの人間的な強さ、能力ではなく、聖霊という「弁護者」がいたからなのです。聖霊という「弁護者」は、イエスが天に昇られた後、イエスに代わって天から降ってきた目に見えない神の働き、または力です。この「弁護者」は信じる者に寄り添い、支え、励まし、助け導く神の働きです。この聖霊という「弁護者」が信じる者のうちに働きかけてくださったから、彼らは迫害や困難を乗り越えることができたのです。<br />少なくとも今現在、私たちが、初代教会の人々や明治期の人々のような迫害や困難を受けることはありません。キリスト教を信じてるという理由で警察に捕まることはありません。しかし、今の時代にも困難や難しい課題があります。また私たちは未来に大きな不安を抱えています。そのような中にあって、私たちは聖霊という「弁護者」をイエスが約束してくださっていることが大きな支えです。この聖霊はヨハネの時代から今に至るまで生き生きと働いています。そして聖霊によって私たちの心に神の愛が注がれています。<br />ローマの信徒への手紙第5章3-5節<br />3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。<br />またヨハネによる福音書第14章にはこの「弁護者」としての聖霊についてこう書いてあります。<br />16 わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。17 この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。<br />26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。<br />聖書を読み、祈るとき、礼拝に参加するとき、この聖霊が生き生きと私たちに働いてくださることに気づきます。そして私たちはこの聖霊なる「弁護者」によって、神の愛を心に受け、喜びと感謝を持って、イエス・キリストを証しするものとして歩むことが可能となるのです。<br />最後にマルコによる福音書第14章11節をお読みします。<br />11 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。<br /><a name="more"></a>

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<title>2024年4月21日復活節第4主日礼拝　＜わたしを愛しているか＞ 　ヨハネによる福音書第21章15-19節</title>
<description>2024年4月21日復活節第4主日礼拝(弟子への委託)＜わたしを愛しているか＞ 　ヨハネによる福音書第21章15-19節　   　　　　　牧師　木谷　 誠本日の聖書を読みますと私は元草深教会牧師で、教団議長も務められた辻宣道先生のことを思い出します。辻先生は、青森のホーリネス教会の牧師の息子としてお生まれになりました。戦時中、ホーリネスが国家の迫害にあった時、お父様は獄中で亡くなられ、ご家族は大変なご苦労をなさったとのことでした。辻牧師は教会の脆さ、弱さもひしひしとお感じにな..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-04-25T08:39:36+09:00</dc:date>
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2024年4月21日復活節第4主日礼拝<br />(弟子への委託)<br />＜わたしを愛しているか＞ 　<br />ヨハネによる福音書第21章15-19節　   　　　　　牧師　木谷　 誠<br />本日の聖書を読みますと私は元草深教会牧師で、教団議長も務められた辻宣道先生のことを思い出します。<br />辻先生は、青森のホーリネス教会の牧師の息子としてお生まれになりました。戦時中、ホーリネスが国家の迫害にあった時、お父様は獄中で亡くなられ、ご家族は大変なご苦労をなさったとのことでした。辻牧師は教会の脆さ、弱さもひしひしとお感じになったようです。またその時、日本基督教団はホーリネス教会と牧師を見捨ててしまいました。辻先生はこの悲劇の経験をもとに、揺るがない教会の形成を目指して伝道牧会に励まれました。その経験を生かして書かれた本が、「教会生活の処方箋」でした。<br />私は、学生の頃、この本を熱心に読み、教会形成の心構えと実際についてとても勉強になりました。とても厳しいことも書いてありましたが、実際にお会いしてみますと辻先生はとても気さくな親しみやすい優しい先生でした。<br />後に辻宣道牧師は日本キリスト教団総会議長に選挙されました。その頃、私は東中国教区におりました。若い牧師たちの勉強会にお招きしたら、快くお引き受けくださいました。また、日本キリスト教団の日毎の糧に当時私が支えておりました児島教会が掲載されたのですが、祈りのおハガキをくださいました。ということはおそらく毎日その日その日掲載される教会におハガキを書いておられたのでしょう。本当に凄い方でした。<br />その辻宣道牧師は本日お読みいただきました聖書を大切にしておられたようです。「伝道者はどれだけイエスを愛しているかが大切。そこで決まる。」とおっしゃったのだそうです。<br />復活のイエスはしつこく三度もペトロに「わたしを愛しているか」と問われました。ペトロはイエスを裏切って逃げてしまいました。おまけに（？）イエスを三度知らないと言ってしまいました。何度もしつこく聞かれても仕方がないかもしれません。それでもしつこく何度も聞かれるとペトロは悲しくなってしまいました。では、なぜイエスは何度もペトロに聞いたのでしょうか？<br />それはペトロが過去にイエスを裏切ったことがあったからでもなければ、三度知らないと言ったからもでありません。これから伝道者として、イエスから大切な使命（信徒を養い導くつとめ、伝道のつとめ）を担う時に、どれだけイエスご自身を愛していることが大切かということを、イエスはペトロにわかって欲しかったのです。<br />これからペトロは使徒として歩み始めます。それは想像を絶する苦難の歩みです。その時に大切なことはイエスを愛することだということをイエスはペトロに伝えたかったのです。ではなぜイエスを愛することが大切なのでしょうか？<br />イエスを愛する時、不思議なことに、私たちがイエスを愛する愛に遥かに優ってイエスが自分を愛していることがわかります。イエスは私たちがイエスを愛する以上に、はるかに優って私たちを愛しておられます。それはイエスを愛する時により強く感じることができるのです。そしてそのイエスから愛されている愛の実感、愛の喜びが、イエスから委ねられた使命を担う力、知恵、励ましとなるのです。<br /><a name="more"></a>

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<title>2024年3月31日 復活節第1主日礼拝　（キリストの復活）説教　　　＜イエスは生きておられる＞　 牧師　木谷　 誠</title>
<description>皆様、イースターおめでとうございます。イエス・キリストが十字架の死から三日目に復活され、神としての新しい命に生きておられます。イースターはそのお祝いの祭りです。復活されたイエス・キリストは女性たちや弟子たちと出会ってくださいました。死という誰も乗り越えられなかった断絶を乗り越え、再び愛の交わりを持ってくださいました。イエスのそばにいながら何もできなかった女性たちの弱さ、見捨てて逃げてしまった弟子たちの罪、全てをイエス・キリストはゆるして、深い愛を示してくださいました。故に復活..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-04-03T15:28:19+09:00</dc:date>
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皆様、イースターおめでとうございます。イエス・キリストが十字架の死から三日目に復活され、神としての新しい命に生きておられます。イースターはそのお祝いの祭りです。<br />復活されたイエス・キリストは女性たちや弟子たちと出会ってくださいました。死という誰も乗り越えられなかった断絶を乗り越え、再び愛の交わりを持ってくださいました。イエスのそばにいながら何もできなかった女性たちの弱さ、見捨てて逃げてしまった弟子たちの罪、全てをイエス・キリストはゆるして、深い愛を示してくださいました。<br />故に復活は交わりの復活でもあります。この交わりは死を超えた永遠の愛の交わりです。決して断絶することはありません。そして交わりは命につながります。故に復活は永遠の命（永遠の愛の交わり）の実現です。そしてイエス・キリストはこの復活の永遠の命（永遠の愛の交わり）を私たちにも分け与えてくださいました。<br />クリスマスは、夜の物語です。闇の中にイエス・キリストの誕生という光が輝きます。イースターは朝の物語です。夜の闇は終わり、朝の光が輝きます。その朝の輝きに勝る喜びがイエスの復活の出来事にはあるのです。<br />イエスが十字架にかけられた金曜日から三日目、日曜日の朝、イエスの墓は空でした。イエスは墓にはおられません。墓、それは過去の象徴です。かつてこのような人が生きていたその思い出の場所です。その墓が空だったということは、イエスは「過去の人」ではないということを意味しています。<br />空の墓は、イエスは過去の人ではなく、今も生きておられ、わたしたちと共にいてくださる方であること、そしてイエスは永遠に愛の交わりを持ってくださる方であるということを示しているのです。ではどこでイエスとお会いできるのでしょうか？<br />イエスは弟子たちよりも先にガリラヤに行かれました。そこでお会いできます。ガリラヤ、それはイエスが人々と出会い、神の国について教え、病を癒やし、悪霊を追い出し、友なき者の友となられた場所です。イエスが、神の御心に従い、神の愛を実践した場所がガリラヤです。<br />そこでイエスとお会いできるというのです。ガリラヤとは、今日の私たちにとってどこでしょうか？それは私たちが神の愛をいただいて、神の愛を実践する場所、それがガリラヤです。そこでイエスとお会いできます。<br />私たちが祈りつつ　神の愛を実践する歩みの中で復活のイエスとお会いできる。復活のイエスがそこにすでにおられることに気づく。<br />私たちにとって、ガリラヤとは今治です。私も今治に参りまして、本日（2024年3月31日）で8年が過ぎます。確かに今治に復活のイエスはおられました。私、いいやわたしたちよりも先に復活のイエスはこの今治におられました。たしかに私たちの罪を赦し、愛の交わりを持ってくださいました。そして私たちをご自身の愛で繋いでくださいました。<br />間違いなくこの今治で私たちは復活のイエスとお会いできていました。そしてこれからも復活のイエスはわたしたちと共にいてくださいます。なんという感謝でしょうか。この喜びに突き動かされ、これからも復活イエスと共に、皆様と共に愛のわざに励んでまいりましょう。イースター、おめでとうございます。<br /><a name="more"></a>

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<title>3月31日　イースターおめでとうございます。</title>
<description>こんにちは。お元気ですか？桜の花が、咲きました。とってもきれいです。春の嬉しさをますます感じます。皆さんもひとつずつ大きくなる嬉しい春です。　今週の礼拝は、イースター礼拝でした。木谷牧師が、お話をしてくださいました。　そして分級は、もちろん、「たまご探し」をしました。先生達が、一生懸命隠しましたが、お友達は、あっという間に見つけてしまいました。その後、家族と一緒に、「たまご探し」ができるようにお家用イースターエッグを紙コップを使って飾り付けて、ラッピングしました。お家でも「た..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-04-03T10:40:24+09:00</dc:date>
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こんにちは。お元気ですか？<br />桜の花が、咲きました。とってもきれいです。春の嬉しさをますます感じます。<br />皆さんもひとつずつ大きくなる嬉しい春です。<br />　今週の礼拝は、イースター礼拝でした。木谷牧師が、お話をしてくださいました。<br /><a href="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1712055247317.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="1712055247317.jpg" src="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1712055247317-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" onclick="location.href = 'https://imabari-cha.seesaa.net/upload/detail/image/1712055247317-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />　そして分級は、もちろん、「たまご探し」をしました。<br />先生達が、一生懸命隠しましたが、お友達は、あっという間に見つけてしまいました。<br /><a href="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1712055291271.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="1712055291271.jpg" src="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1712055291271-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" onclick="location.href = 'https://imabari-cha.seesaa.net/upload/detail/image/1712055291271-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><a href="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1712055274473.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="1712055274473.jpg" src="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1712055274473-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" onclick="location.href = 'https://imabari-cha.seesaa.net/upload/detail/image/1712055274473-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />その後、家族と一緒に、「たまご探し」ができるように<br />お家用イースターエッグを紙コップを使って飾り付けて、ラッピングしました。<br /><a href="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1712055337763.jpg" target="_blank"><img border="0" alt="1712055337763.jpg" src="https://imabari-cha.up.seesaa.net/image/1712055337763-thumbnail2.jpg" width="320" height="240" onclick="location.href = 'https://imabari-cha.seesaa.net/upload/detail/image/1712055337763-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />お家でも「たまご探し」を楽しんだでしょうか?また、教えてくださいね。<br />　さて来週の礼拝は、中谷先生が、お話をしてくださいます。<br />礼拝の中で、進級、進学お祝い会をします。ぜひ、来てくださいね!!<br />　また、その後の分級は、中谷先生が、してくださいます。<br />お楽しみに。<a name="more"></a>

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<title>2024年2月18日 受難節第1主日礼拝（荒れ野の誘惑）＜仕える道＞ 　　　牧師　木谷 誠</title>
<description>マタイによる福音書 第4章1-11節教会の暦では、先週の水曜日は「灰の水曜日」と呼ばれ、この日から受難節が始まりました。そして本日より受難節の礼拝となりました。受難節は、復活日（今年は3月31日）の前の日曜日を除く四十日間の期間です。主イエス・キリストの十字架の苦難と死を覚え、悔い改めしつつ、復活の喜びの祝いに備える期間です。さて、受難節の最初の日曜日、聖書朗読箇所は、毎年イエスの荒野の誘惑の出来事です。日本キリスト教団の教会暦の聖書朗読は四年サイクルで、マタイ、マルコ、ルカ..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-02-22T04:00:59+09:00</dc:date>
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マタイによる福音書 第4章1-11節<br />教会の暦では、先週の水曜日は「灰の水曜日」と呼ばれ、この日から受難節が始まりました。そして本日より受難節の礼拝となりました。受難節は、復活日（今年は3月31日）の前の日曜日を除く四十日間の期間です。主イエス・キリストの十字架の苦難と死を覚え、悔い改めしつつ、復活の喜びの祝いに備える期間です。<br />さて、受難節の最初の日曜日、聖書朗読箇所は、毎年イエスの荒野の誘惑の出来事です。日本キリスト教団の教会暦の聖書朗読は四年サイクルで、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書朗読を軸にしています。今年はヨハネによる福音書の順番ですが、実はヨハネによる福音書にはこの荒野の誘惑の記事がないのです。そこでマタイによる福音書の荒野の誘惑の記事が本日は朗読されているのです。<br />いささか説明が長くなってしまいました。ではなぜ、荒れ野の誘惑の出来事が記された聖書箇所を、受難節の始まりに朗読するのでしょうか？それはイエスが十字架の苦難の歩みへと踏み出す決定的な決断がこの出来事の中でなされているからです。<br />最初のパンの誘惑では、イエスは、自分の力で自分を養うことを拒否し、神の言葉、神との愛の交わりによって自分は養われると表明しました。イエスはどこまでも神にご自分を委ねる決断をしたのです。<br />第二の高いところから飛び降りてみろとの悪魔の誘惑に対して、飛び降りることが信仰的のように思えますが、そうではありません。そもそも試みるということは、相手を信頼していない証拠なのです。だからイエスは飛び降りません。神を試みません。その必要はないのです。イエスはここで父なる神を100％信頼することを告白したのでした。<br />第三の誘惑こそ、悪魔の主目的でした。悪魔は、この世のあらゆる富と繁栄と引き換えに、父なる神を捨てて、悪魔を礼拝することを要求したのです。イエスは拒否します。イエスはこの世のいかなる富よりも繁栄よりも父なる神に仕える道を選んだのです。<br />旧約聖書の律法の要約として、モーセの十戒が有名です。どの戒めも大切ですが、最も大切で根本的な戒めは第一の戒め、「あなたは私の他、何者をも神としてはならない。」です。ここに十戒の全てがあると言っても過言ではありません。イスラエルの民が神として崇め、賛美し、従う方は、エジプトから救い出してくださった神「ヤハウェ」のみであること、他の何者も神としてはならないこと、これが最も大切なことでした。他の戒めはこれを側面から支えるものでしかありません。逆に言えばこれさえ守っていれば大丈夫ということもできます。もっともこの戒めを守ることは決して簡単ではないのですが・・・・イエスはこの荒野の誘惑の出来事において、最も大切な十戒の第一の戒めをしっかりと守って生きる決断、僕として神に仕える決断を表明したのです。<br /><a name="more"></a>

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<title>2024年2月11日降誕節 第7主日礼拝　（奇跡を行うキリスト）　説教　　＜信じ、捧げ、分かち合う＞　牧師　木谷　 誠</title>
<description>本日の聖書は「五千人の供食」呼ばれ、マタイ、マルコ、ルカを含めて四つの福音書全てに記されています。イエスが、わずかなもの（二匹の魚と五つのパン）を用いて多くの人を養われた奇跡物語の代表的な出来事です。ただ、マタイ、マルコ、ルカと異なり、ヨハネ福音書だけにある特徴があります。それは子どもが登場していることです。二匹の魚と五つもパンを捧げたのはこの少年、すなわち子どもであるということが明記されているのはヨハネ福音書だけなのです。私は、長年幼稚園長をさせていただいております。日々の..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-02-13T10:35:20+09:00</dc:date>
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本日の聖書は「五千人の供食」呼ばれ、マタイ、マルコ、ルカを含めて四つの福音書全てに記されています。イエスが、わずかなもの（二匹の魚と五つのパン）を用いて多くの人を養われた奇跡物語の代表的な出来事です。<br />ただ、マタイ、マルコ、ルカと異なり、ヨハネ福音書だけにある特徴があります。それは子どもが登場していることです。二匹の魚と五つもパンを捧げたのはこの少年、すなわち子どもであるということが明記されているのはヨハネ福音書だけなのです。<br />私は、長年幼稚園長をさせていただいております。日々の食事、行事の中で、子どもたちがお弁当を食べる場面に何度も接してきました。遠足の時には、子どもたちがおやつのお菓子（グミとかラムネ、とかハイチュウなどなど）を持ってきてくれます。とても嬉しいです。でもお弁当をくれた子どもはいません<br />子どもにとって親が作ってくれたお弁当は特別な意味があるのです。それは単なる食べ物以上のものです。子どもたちはそれが親の愛情のこもったかけがえのない贈り物であることを知っているのです。ちなみに私も高校生の頃、母が作ってくれたお弁当を残したことはただの一度もありませんでした。それほど大切なお弁当を子どもが差し出すということは、自分が親からもらったかけがえのない宝物を捧げるということなのです。<br />ではどうしてこの子はそんなにも大切なお弁当を捧げたのでしょうか？<br />いくつか理由が考えられます。<br />その一つは、本当にみんなが困っていたことが子どもにもわかったからでしょう。大人が困っているということに子どもはとても敏感です。そして何とか助けになりたいと考えたのでしょう。そのためには大切な大切なお弁当を捧げても良いとこの子は思ったのでしょう。<br />もう一つ、これがとても大切なことだと思いました。おかしな言い方をします。この子は、この状況（五千人以上の人たちの食べ物が不足している。）の中で自分の捧げるお弁当では全く役に立たないとは考えなかったと言うことです。大人ならすぐにわかることですが、子どもですから、それはわからなかったのかも知れません。<br />困難な状況に対して、自分の持てるものでは全く役に立たない。大人はそう計算して簡単に諦めてしまうところがあります。<br />子どもはそうは考えませんでした。困難な状況に対して、自分のできることはほんの僅かだとしても、諦めないで自分のできることを捧げる。それがとても大切なことであるとこの出来事は私たちに教えています。<br />もう一つ、そこにイエスがおられたと言うこともあるでしょう。イエスなら何とかしてくださる。自分はイエスの役に立ちたい。この子どもはそう思ったのでしょう。<br />そのような思いでこの子は二匹の魚と五つのパンを捧げました。それは五千人の人々の必要を満たすには取るに足りないものですが、この子どもは本当に思い切って、強い思いを持ってこの二匹の魚と五つもパンを捧げたのです。<br />その子どもの心のこもった捧げ物をイエスは祝福してくださいました。きっとイエスは大喜びで心から感謝して受け取られたことでしょう。それがこの子どもにとってどれほど大切なものであったか、イエスはよくおわかりでした。<br />そしてイエスはこの捧げ物、二匹の魚と五つのパンを用いて、五千人の人々を豊かに養いました。二匹の魚と五つのパンの捧げ物は、イエスによって祝福され、多くの人々と分かち合われたのです。その祝福は、そこにいる人たちを満たして余りあるほどの豊かなものでした。<br />私たち一人ひとりの力は、取るに足りないささやかなものです。しかし、心を込めて神に捧げる時、イエスに捧げる時、それは豊かに祝福され、私たちの計算を超えた素晴らしい恵みをもたらします。<br />私たちもこの子どもにならって、私たち持てるものを、私たち自身を、心を込めてイエスにお捧げしましょう。その時、私たちの知恵と経験を超えるゆたな実りの世界、分かち合いの喜びの世界が開けるのです。<br /><a name="more"></a>

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<title>2024年2月4日降誕節 第6主日礼拝</title>
<description>説教　＜起き上がりなさい。歩きなさい。＞ 　　 牧師　木谷　 誠ヨハネによる福音書 第5章1-18節高校生の頃、私の母教会では、ヨハネによる福音書連続講解説教をやっていました。連続講解説教とは、例えばヨハネ福音書講解説教というなら、最初から順番に礼拝で朗読し、説教していくというスタイルです。ちょうど今日の聖書を取り上げる礼拝の時、なんともやりきれない気持ちになったことをよく覚えています。このベトザタの池の回廊に38年間、体の麻痺で苦しんでいる人がいました。池の水が動く時、一番..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-02-11T08:00:06+09:00</dc:date>
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説教　＜起き上がりなさい。歩きなさい。＞ 　　 牧師　木谷　 誠<br />ヨハネによる福音書 第5章1-18節<br />高校生の頃、私の母教会では、ヨハネによる福音書連続講解説教をやっていました。連続講解説教とは、例えばヨハネ福音書講解説教というなら、最初から順番に礼拝で朗読し、説教していくというスタイルです。ちょうど今日の聖書を取り上げる礼拝の時、なんともやりきれない気持ちになったことをよく覚えています。<br />このベトザタの池の回廊に38年間、体の麻痺で苦しんでいる人がいました。池の水が動く時、一番にそこに身を浸せば癒されると言われています。しかし、そんなことはとても無理でした。自分でも無理、誰からも助けてもらえません。この人がベトザタの池の水が動く時に、一番にその池の水に身を浸すことは全く不可能でした。これまでも不可能だったでしょうし、おそらくこれからも不可能はでしょう。<br />もしかしてこの人も最初は希望を抱いていたのかもしれません。しかし、その希望は挫け、心が折れていたのだと思います。この人は希望を見失っていたことでしょう。本当にどうしようもない状況です。<br />そのような絶望が支配する場所にイエスが来てくださいました。人間の弱さ、惨めさ、希望のない現実に神の子が降りてきてくださいました。そしてイエスはこの人に「良くなりたいか」と尋ねたのです。この人は驚いたと思います。すっかり望みを失ってしまって、そんな思いもなくなっていたことでしょう。<br />そのような人に対して、イエスは、もう一度自分が何を望んでいるのかを尋ねたのです。「できる、できない」に関係なく、自分を苦しめている困難な現実から本当に救われたいと願うのか？イエスはそう尋ねたのです。<br />この人は、もうそのような希望を願いを持つこともできませんでした。人間の知恵、経験、知識ではもう可能性はありません。しかし、イエスはそうではないと言うのです。人間が希望を見出し得ないところに希望がもたらされる世界があることをイエスは告げています。それは神がもたらす希望の世界です。<br />私たちも自分たちの知恵や経験からは不可能と思えることが多くあります。しかし、私たちが絶望しても神は絶望していません。イエスは絶望していません。そこにも希望がある神の働きの世界があるのです。私たちは希望を持って、祈り願い続けることが大切です。この年も不可能を可能とする神の働きを信じて歩み出していきましょう。<br /><a name="more"></a>

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<title>2024年1月7日降誕節第2主日礼拝（イエスの洗礼）＜見た、そして証しした！＞　牧師　木谷 誠</title>
<description>ヨハネによる福音書第1章29-34節主の年、2024年初めての日曜日を迎えました。今年も皆様とご一緒に日曜日の礼拝を大切にして参りましょう。聖日礼拝を大切に守ることは、私たちの信仰生活の出発点です。そこに私たちの力の源があります。そのようにして私たちが日曜日に礼拝堂に集まって礼拝を守ることにはどういう意味があるのでしょうか？ 洗礼者ヨハネは、イエス・キリストが来られた時に「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いました。洗礼者ヨハネの言葉は、私たちが日曜日毎に礼拝を守ることの..</description>
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<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2024-01-07T04:48:26+09:00</dc:date>
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ヨハネによる福音書第1章29-34節<br />主の年、2024年初めての日曜日を迎えました。今年も皆様とご一緒に日曜日の礼拝を大切にして参りましょう。聖日礼拝を大切に守ることは、私たちの信仰生活の出発点です。そこに私たちの力の源があります。そのようにして私たちが日曜日に礼拝堂に集まって礼拝を守ることにはどういう意味があるのでしょうか？ <br />洗礼者ヨハネは、イエス・キリストが来られた時に「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いました。洗礼者ヨハネの言葉は、私たちが日曜日毎に礼拝を守ることの意味について、大切なことをわたしたちに伝えています。私たちが礼拝するのは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」との洗礼者ヨハネの呼びかけに応えることです。<br />そして、私たちは礼拝の中で、イエス・キリストとお会いするのです。そのイエス・キリストは「世の罪を取り除く神の小羊」です。世の罪を取り除くためにイエス・キリストは十字架にかかって死なれました。罪の償いとして、イエス・キリストはご自分の命を捧げられたのです。私たちは世の罪、私たちの罪を取り除く神の小羊としてのイエス・キリストと礼拝において出会うのです。これが私たちが毎週礼拝を守る意味です。<br />私たちには今も罪が絡み付いていいます。イエス・キリストを信じて救われていても、その救いの完成はまだ先のことで、私たちは日々、自分たちの弱さと罪を思い知らされています。神の小羊イエス・キリストはそのような私たちの罪を十字架の死によって取り除き、神との愛の交わりを回復してくださいました。私たちは、礼拝の度ごとに神の小羊であるイエス・キリストと出会い、その恵みを新たにいただき、喜びと感謝に満たされ、励まされ、導かれて日々の生活へと出ていくのです。そして神の恵みを生活の場で証しするのです。神の愛と栄光とをこの今治の町に伝えるのです。<br />この神の小羊と出会う時、わたしたちにも聖霊が豊かに注がれます。聖霊とは、神の（聖）目に見えない力（霊）です。神の小羊イエス・キリストの力の源はこの聖霊の力でした。そしてイエス・キリストは、イエス・キリストご自身を信じて受け入れる者に対して、ご自分の力の源である聖霊を惜しげもなく分かち与えてくださるのです。この聖霊をいただくことによって、わたしたちは聖書に書かれている言葉を、生き生きとした神の言葉として受け入れることができるようになります。そして慰め、励まされ、導かれ、喜びと感謝に満ちて歩み出すことができるのです。<br />新しい年、世界の平和は大きく脅かされています。ウクライナでイスラエルで痛ましい戦争が続いています。ミャンマーや世界の各地域で抑圧や紛争が続いています。東アジアも平和が不安にさらされています。<br />さらに皆様もご存知の通り、お正月一月一日には能登半島地震、一月二日には民間航空機と海上保安庁航空機の衝突炎上事故が起きてしまいました。しかし、ひるむことなく新しい年も毎週行われる礼拝を大切に守り、神の小羊イエス・キリストとの出会いを確かめ、聖霊の恵みをいただきつつ歩んでまいりましょう。そして私たちも洗礼者ヨハネのようにイエス・キリストの愛を、日々愛の技に励むことによって、証していく一年を歩んでまいりましょう。<br /><a name="more"></a>

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<title>2023年12月24日クリスマス礼拝＜闇を照らす光の誕生＞  牧師　木谷　 誠</title>
<description>皆様、クリスマスおめでとうございます。長年の願いでした礼拝堂耐震補強改修、ガリラヤ館新築工事を実施して初めてのクリスマスを皆様とご一緒にお祝いできること、本当に嬉しく感謝です。クリスマスは12月25日に祝われます。しかし、実はイエス・キリストが誕生された日はわかっていません。ではなぜ12月25日がイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの日となったのでしょうか？12月25日はいわゆる冬至の時期です。ローマ帝国の時代、この冬至の時期に光の祭りを祝う習慣がありました。冬至は一年中で..</description>
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<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2023-12-24T08:27:52+09:00</dc:date>
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<br />皆様、クリスマスおめでとうございます。長年の願いでした礼拝堂耐震補強改修、ガリラヤ館新築工事を実施して初めてのクリスマスを皆様とご一緒にお祝いできること、本当に嬉しく感謝です。<br />クリスマスは12月25日に祝われます。しかし、実はイエス・キリストが誕生された日はわかっていません。ではなぜ12月25日がイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの日となったのでしょうか？<br />12月25日はいわゆる冬至の時期です。ローマ帝国の時代、この冬至の時期に光の祭りを祝う習慣がありました。冬至は一年中で一番夜が長い日です。逆に言えばこれ以上は暗くならない日でもあります。暗さが打ち破られ、少しずつ明るくなっていく季節の動きとクリスマスの出来事の意味を重ねて12月25日にクリスマスを祝うようになったのでした。<br />闇のような暗い現実にイエス・キリストという光が与えられたことを祝う。それがクリスマスの意味です。ではなぜ、イエス・キリストの誕生を「光」という言葉と関連づけたのでしょうか？<br />イエス・キリストを光として仰ぎ見る時、私たちは自分自身を知ります。聖書を通して、イエス・キリストの言葉と行いを知ることによって、私たちは自分自身を知るのです。それは神が私たちを愛しておられるということです。さまざまな弱さや罪にもかかわらず、イエス・キリストを通して、神は私たちを愛しておられることを私たちは知ります。そこで私たちは自分自身を神から愛されている者として知ることができるのです。<br />イエス・キリストを光として仰ぎ見る時、私たちは他者を知ります。自分と同じく他者のこともイエス・キリストは神から愛されている者であることを知ります。お互いは同じ神によって愛されている者同士、言わば「神の子」、「神の家族」であることを知ります。<br />イエス・キリストを光として仰ぎ見る時、私たちは大きな温もりを与えられます。光がもたらす温もりということは、電気の光に慣れた私たちにとっては新鮮なことです。<br />当時の光は、木や蝋燭、油を燃やすことによってもたらされました。それは明るさだけでなく、熱を持った光です。そしてその熱によって、人々は温もりを与えられていたのです。この光がもたらす温もりは、生きる力、生きる喜びへとつながります。<br />この温もりは、神から愛されている喜びです。そしてこの喜びによって、私たちは、自分を愛し、他者を愛する力と元気と知恵を与えられるのです。そしてこの光によって、私たちは暗い闇の現実を希望を持って生きていくことができるのです。<br />クリスマスおめでとうございます。<br /><a name="more"></a>

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<title>2023年12月17日待降節第4主日礼拝（告知)＜わたしは来て、あなたのただ中に住まう＞　　牧師　木谷　 誠&lt;br /&gt;ゼカリヤ書 第2章14-17節&lt;br /&gt;</title>
<description>本日お読みいただいたゼカリヤ書は、旧約聖書の区分では、12小預言書の一つです。「小」とついていますのは、短いからです。内容的には決して「小」ではありません。とても大切な「大きな」意味を持つ内容が記されています。たとえば「義人は信仰によって生きる」を歴史の脈絡の中でダイナミックに伝えるハバクク書は、パウロの信仰義認論、そしてルターの宗教改革の大きな力となりました。聖霊のダイナミックな働きを意外性に満ちて表現するヨエル書は、ペンテコステ、聖霊降臨の出来事を預言しました。先週のマラ..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2023-12-17T08:24:43+09:00</dc:date>
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本日お読みいただいたゼカリヤ書は、旧約聖書の区分では、12小預言書の一つです。「小」とついていますのは、短いからです。内容的には決して「小」ではありません。とても大切な「大きな」意味を持つ内容が記されています。<br />たとえば「義人は信仰によって生きる」を歴史の脈絡の中でダイナミックに伝えるハバクク書は、パウロの信仰義認論、そしてルターの宗教改革の大きな力となりました。聖霊のダイナミックな働きを意外性に満ちて表現するヨエル書は、ペンテコステ、聖霊降臨の出来事を預言しました。先週のマラキ書は、義の太陽としてのイエス・キリストを迎え入れる身支度を具体的に示し、旧約と新約をつなぎました。<br />そして本日お読みいただいたゼカリヤ書も生き生きとした神の救いの風景（8:4-5,その中心は子どもと高齢者）やロバに乗ってやってくる救い主の預言(9:9)でイエス・キリストを指し示しています。<br />そのゼカリヤ書が告げる「その日」は大いなる喜びの日です。何が大いなる喜びなのでしょうか？それは「わたしは来て、あなたのただ中に住まう」という知らせです。主なる神が来て、私たちのただ中、「真ん中」に住んでくださいます。もし、主なる神が、冷酷無比で恐ろしい方であるならば、その日は「喜びの日」にはなりません。私たちの「ただ中に住まう」方は、私たちに寄り添い、共に喜び、共に泣いてくださる方です。私たちの罪をゆるし、その罪の償いのために命を捧げてくださる方です。そのようにして深い愛の交わりをもたらしてくださる方なのです。ゼカリヤ書が預言する主なる神は、イエス・キリストの姿でおいでになりました。<br />それは、私たちにとっては、大きな喜びです。しかし、イエス・キリストにとっては、決して楽なことではありませんでした。<br />私たち人間が生きる現実は非常に厳しい時があります。病、悩み、不和、争いなどなど、さまざまな困難があります。イエス・キリストは、そのような困難な現実の「ただ中」に来て、「住まう」のです。それは痛みを伴います。しかし、そのようにイエス・キリストが共にいてくださることによって、様々な困難にある私たちを喜びと希望へと導いてくださるのです。<br />このわたしは来て あなたのただ中に住まうという言葉について、もう少しご一緒に考えてみましょう。このゼカリヤ書の言葉は個人的な呼び掛けでしょうか？「あなた」とは一個人なのでしょうか？私はそうではないと思います。この「あなた」はイスラエルの共同体を意味しています。この「あなた」は今、私たちの教会の交わりにも当てはまると思います。つまり、主なる神は共同体の「ただ中」に住んでくださるのです。そしてその共同体に属する者を喜びで満たし、その構成員を喜びで繋いでくださるのです。主なる神は、私たちのただ中、すなわち私たちの心の中だけでなく、私たちの交わりの間にも住んでくださるのです。そして私たちの交わりを結びつけてくださるのです。<br />主なる神は、私たちの交わりの「ただ中」に、私たちの間に、来てくださり、私たちを喜びで満たし、私たちをつないでくださいます。先日、それを実感した出来事がありました。<br />ある姉妹のお葬式が行われました。身寄りのない方で、前夜式にもお葬式にもいわゆる「ご遺族」は一人もおられませんでした。そのようなお葬式は初めてでした。それでも教会の人たちがたくさん集まってくださいました。その姉妹は教会を愛していました。神様も教会の皆さんもその姉妹を愛していました。そのお葬式は大きな慰めと愛に溢れた時間でした。どうしてこのような恵まれた時間になったのでしょうか？<br />ご出席くださった方々の主にある交わりの豊かさがそれを実現したのでしょう。なによりもそのお葬式のただ中に主がおられました。主はそのお葬式のただ中に住んでおられました。だからこそあのように温かい慰めに満ちたお葬式になったのです。「わたしは来て あなたのただ中に住まう」という主の言葉が、本日の聖書の言葉が、本当なのだなとつくづく思いました。<br />「わたしは来て あなたのただ中に住まう」<br />私たちの心の中に、そして私たちの交わりの中に、私たちの間に、イエス・キリストがいて住んでくださるのです。そのことに常に感謝して、クリスマスの恵みを受け入れてまいりましょう。<br /><a name="more"></a>

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<title>2023年12月10日　待降節第2主日礼拝</title>
<description>＜先立つ者＞　　　　　牧師　木谷　 誠マラキ書 第3章19-24節12月24日をクリスマス礼拝として、その前の四つの日曜日にアドヴェントの聖書を朗読しています。そのため本日はアドヴェント（待降節）の第三の礼拝となります。この日のテーマは「先駆者」です。旧約聖書の最後の書であるマラキ書は、救い主の到来とそれに先立つ者すなわち「先駆者」を指し示し、新約のイエス・キリストの出来事へと引き継がれます。このつながりは実によくできています。旧約聖書の構成は、キリスト教ではなく、ユダヤ教が..</description>
<dc:subject>日記</dc:subject>
<dc:creator>日本キリスト教団今治教会</dc:creator>
<dc:date>2023-12-10T05:44:50+09:00</dc:date>
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<div style="text-align:center;"></div>＜先立つ者＞　　　　　牧師　木谷　 誠<br />マラキ書 第3章19-24節<br />12月24日をクリスマス礼拝として、その前の四つの日曜日にアドヴェントの聖書を朗読しています。そのため本日はアドヴェント（待降節）の第三の礼拝となります。この日のテーマは「先駆者」です。<br />旧約聖書の最後の書であるマラキ書は、救い主の到来とそれに先立つ者すなわち「先駆者」を指し示し、新約のイエス・キリストの出来事へと引き継がれます。このつながりは実によくできています。旧約聖書の構成は、キリスト教ではなく、ユダヤ教が定めました。新約聖書が成立する前にすでにマラキ書は旧約の最後に置かれていたのです。不思議です。まさしく神のご計画と呼ぶ他ないつながりです。<br />マラキ書は「その日」の到来を告げます。「高慢な者、悪を行う者」にとって、「その日」は藁のように燃やされてしまう恐ろしい日です。しかし、主を「畏れ敬う者」にとって、「その日」は「義の太陽」が昇る日、すなわち、神の御心が示される日です。「畏れ敬う者」は、「義の太陽の翼」によって癒やされ、躍り出て飛び回る程の喜びに満たされます。その日を、恐ろしい日ではなく、喜び出て飛び回る日として迎えるためにどんな身支度が必要なのでしょうか？<br />その日は、神の恵みのご計画によって定められています。その日が来たとしても、私たちが身支度をしなければ、その日を「喜びの日」として迎えられません。せっかく義の太陽が昇り、私たちの心の部屋を明るく照らしたとしても、私たちが心の部屋の窓を開けていなければ暗いままです。義の太陽の癒しと喜びを受けることはできません。<br />先立つ者、「先駆者」として、私たちに示されているエリヤは、新約聖書の初めに洗礼者ヨハネとして登場します。その役割は、「父の心を子に向け、この心を父に向け」ることです。<br />父、すなわち神の心は、すでに子（わたしたち）に向かっています。父なる神は、私たちに関心を持っていてくださいます。私たちとの交わり、愛の交わりを求めておられます。父なる神から差し出される愛の交わりへの招きを私たちが受け入れる時、私たちと神との間に愛の交わりが成り立ちます。私たちの上に、義の太陽が昇るのです。<br />そのための良い身支度は、神を「恐れ敬う」ことです。この主を「畏れ敬う」ことと「悔い改め」とがつながるのです。洗礼者ヨハネは、悔い改めの洗礼（バプテスマ）を人々に勧めました。今、洗礼者ヨハネは私たちにも「悔い改め」を勧めています。それこそが、義の太陽であるイエス・キリストを受け入れる最も良い身支度だからです。<br />心を父（主）に向け、罪深い自分に注がれている父の愛を感謝して受け止め、主を「畏れ敬う」者として歩み出すことが悔い改めです。<br />悔い改めというと、なんだか、重苦しい、罪の意識に打ちのめされて下を向く営みのように思えます。そういう段階も必要ですが、それは最終的な姿ではありません。そのような罪深い私たちに心を向け、深い愛を注ぎ、命を捧げてまで、私たちの罪をゆるしてくださった神の愛を受け入れ、心から感謝して、神を「畏れ敬う」者として歩み出すこと、それが悔い改めです。その時、私たちは、「義の太陽」として私たちを照らすイエス・キリストによって癒やされ、喜び、躍り出ることができるのです。<br /><a name="more"></a>

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